埼玉大学ヨーロッパ文化特殊講義
書物の中の都市/書物としての都市―ルドゥー、サド、ビュトール(先週の続き)
★ナラティヴの空間性と時間性:ヌーヴォー・ロマンとの比較
ヌーヴォー・ロマン(ビュトール)作品:作中の登場人物が都市空間を彷徨・旅行する→語りによって、作中に都市空間が生起する、読者は書物内の空間を登場人物と共に(想像上で)進む。ビュトールらが作中で自覚的に行っている操作(時系列の攪乱、語り手や視点の交代)→ルドゥーの『建築論』で(無意識的に?)先取りされている面も。
・ビュトール*1『時間割』(1956年) :主人公ルヴェルは就職のため初めてやって来たブレストンの街*2を、道に迷いながら歩き回る。小説のナラティヴは、ルヴェル(一人称の主人公)がブレストン到着の7ヶ月後から、日記形式で過去を回想し記述するという体裁で展開。回想の時系列は、順行(月初→月末)したり遡行(月末→月初)したり、6月の出来事と11月の出来事が交互に語られたりする。(回想を記した日付と、そこで語られている出来事の日付は一致しない。)空間と時間の両面において、読者を混乱させるような迷宮構造を持つ。
・ビュトール『心変わり』*3(1957年) :主人公はパリからローマ行きの列車に乗る。車中克明な描写によって、パリ=ローマ間の空間移動、またローマの都市空間が想像的に再現される。(現在・過去の回想・未来の想像という三つの時制が入り組む。)語り手が主人公を「きみ/きみたち(vous)」と二人称で呼ぶ:ビュトール「一人称と三人称の中間の形式にある内的独白が必要だった」。
第6回:「旅行」の歴史とディスクール
I.ヨーロッパにおける「旅」の文化社会史*4
1)中世〜ルネサンス:巡礼の旅、商業のための旅。騎馬、船(海・河川)
e.g. アルブレヒト・デューラー『ネーデルラント旅日記』*5(1520-21年の記録)
[図版]左:デューラー《自画像》1500年、アルテ・ピナコテーク(ミュンヘン)。
右:デューラー《メランコリア�》1514年、銅版画。
「通関券((今日のパスポート(国家の保証する通行許可証・身分証明証)が登場するまでの歴史については、以下の文献がある:[書評課題]宮崎揚弘編『ヨーロッパ世界と旅』法政大学出版会、1997年(序章「フランス絶対王政期における旅券の成立」);嶋田由紀「第二の皮膚を纏う――身分証明書とコンドーム」[書評課題図書]大宮勘一郎他『纏う――表層の戯れの彼方に』水声社、2007年、9-50ページ。))を見せ無税で通してもらった 」、陸路と水路でニュルンベルクからネーデルラントへ。
年金支給遅延につき神聖ローマ皇帝に請願の目的+各都市を周遊・見物。
細かな出納記録から旅程が伺える(「出納簿文学」c.f.『ロビンソン・クルーソー』のバランス・シート)
2)ルネサンス:大航海時代(未知の大陸の《発見》、世界地図作成への欲望*6)
「新しい」土地の発見、命名、そして地図作成への欲望 =世界を可視化し所有する欲望/世界を創る欲望。
3)18世紀 グランド・ツアーの時代*7:
・「教養」のための修学旅行、「名所」の誕生
専らイギリス上流階級の子息によるもの。
[図版]ポンペオ・バトーニ《後のライセスター伯爵、トマス・ウィリアム・コークの肖像》1774年、個人蔵。
[参考図版]バトーニ《チャールズ・クロールの肖像》1761-62年、ルーヴル美術館。
[参考図版]作者未詳《眠れるアリアドネ》(紀元前2世紀のギリシア彫刻のローマ時代の模作)ピオ・クレメンティーノ美術館(ヴァチカン)。
[図版]ヨハン・ティシュバイン《ローマ近郊のゲーテ》1786年、フランクフルト市立美術館。←1786-88年にかけ滞在:幼年期からのイタリア憧憬。古代・ルネサンス芸術と自然科学への関心。旅程と見聞は膨大な旅日記にまとめられている*8。
・イタリア熱と新古典主義:(西欧の)歴史の《起源》としてのローマ(ギリシアのレプリカとしてのローマ美術) e.g. ヨハン・ヨアヒム・ヴィンケルマン、G.B.ピラネージらによる書物・版画(=複製技術、視覚情報の流布に貢献)
・「風景画」や「都市景観画(ヴェドゥータ)」の流行:神の視点から現実的な身体の目線へ=視点の低下、フレーミングの局所化。
[図版]ヤコポ・デ・バルバリ《ヴェネツィアの透視図法的景観図》1500年、コッレール美術館(ヴェネツィア):鳥瞰図で描かれたヴェネツィア(地図と都市景観画、双方の祖型)
[図版]ジョヴァンニ・アントニオ・カナレット《大運河:リアルト橋を南から望む》1740年頃、ジャックマール=アンドレ美術館(パリ):大運河を航行する人間の視点から描かれたヴェネツィア。
・アルプス越えの風景と「崇高*9」「ピクチャレスク*10」概念の登場。
[画像]ジョン・ロバート・カズンズ《サヴォワ地方サランシュ付近のアルプス渓谷》制作年不詳、郡山市立美術館。
[引用]バークにおける「崇高」(1757年の著作より)
自然における、偉大にして崇高なるものの引き起こす感情は、それらの原因がもっとも力強く作用するとき、驚愕である。そして、驚愕というものは、心のあらゆる運動が、ある程度の恐慄で中止される精神状態である。
崇高:驚異、不安、戦慄、恐怖、苦痛といった情感を喚起する対象がもつ性質←→美:快、幸福
・ギルピンにおける「ピクチャレスク」(1792年の論考 より)
ピクチャレスク:荒粗、不規則、左右非対称(廃墟、老人の顔、岩)←→美:平滑、整然
(「崇高」「ピクチャレスク」な絵画については、もっぱらイギリスの美術アカデミーで議論され、風景画に取り入れられていくこととなった。)
4)19世紀 植民地とオリエンタリズム:
・オリエント:ヨーロッパにとっての「東方」。主にイスラム圏の西アジアおよび北アフリカ(トルコ、アラブ、エジプト、アルジェリア)。イスラムの影響の色濃いスペインも、「オリエント」と似た眼差しの対象となる。
・「紀行文学」:テオフィル・ゴーティエ『スペイン紀行』(1843年)、ギュスターヴ・フローベール『オリエント紀行』(1849-51年の間の旅行記)、ジェラール・ド・ネルヴァル『東方紀行』(1851年)、ウジェーヌ・フロマンタン『サハラの夏』(1857年)、『サヘルの一年』(1858年)etc. ←比較的裕福な階級(年金生活者)の青年による「使命を負わない」旅行。
・旅行者の眼差しに映る「他者」としてのオリエント:征服すべき他者(c.f.「異国の女性」表象)/理想郷/不変の(進歩の時間の流れない)風景/エキゾティシズム/「プリミティヴ」なものに理想を求める心性(c.f. 古代、原始、自然、田園…)
[画像]ジャン=レオン・ジェローム《エジプトのアラブの隊商》年代不詳、個人蔵。
[画像]ジェローム《ハーレムの沐浴場》1876年頃、エルミタージュ美術館。
オリエンタリズム(仏:オリエンタリスム)絵画の眼差し:歴史・時間の停止と「正確さ」の偽装。ヨーロッパによるコロニアリズムや、当地の現実を隠蔽するレトリックが働いている。
[引用]ノックリン「虚構のオリエント」より
ここで言う不在のひとつは、歴史の不在である。[…]ジェロームの絵画において歴史や時間的変化が不在であることの意味は、この作品における、もうひとつの著しい不在と密接に関連している。すなわちそれは、密告者としての西洋人の存在の欠如である。[…]これらの中には植民地の住人としての、もしくは旅行者としての西洋人の存在は認められないのである。*11
c.f. エドワード・サイード『オリエンタリズム』1978年*12。「他者」としてのオリエントを、排除しつつ制圧しようとする(同時に幻想を投影する)、西洋側の姿勢を批判。「ポストコロニアリズム」の嚆矢となった書。
5)ツアリズムの大衆化
c.f. 19世紀初頭までの旅行:「文化的特権者」による「顕示的消費*13としての旅」=(古典知識、芸術愛好、有閑(leisure)、金銭的利害と無関係)の徴表としてのグランド・ツアー(17世紀末〜18世紀)、リゾート地への季節的移住(18世紀〜1930年代)
・鉄道・汽船の発達と鉄道網の整備(技術的要因)+旅行代理店の登場と普及(商業的要因)+ブルジョワ階級における「休暇」
・「鉄道」が変えた時間認識*14:時計と時刻表
鉄道の歴史=都市形成と変容の歴史*15。一種の「ネットワーク」でもある。
絶えず高速で移動していく、隔絶された閉鎖空間。映画(動画)としての車窓:ミステリー小説や映画のモティーフとして重用される。
・トーマス・クック:今日的な旅行代理店の先駆け、1840年代から「団体パッケージツアー」を考案し、旅行体験を平均化、脱・特権階級化する。1855年のパリ万国博覧会による旅行需要を受け、翌年に初めて大規模な外国(=ヨーロッパ大陸)ツアーをパッケージ化。
[図版]ポンペイにて、トーマス・クック社主催の団体ツアー客たち。
・ガイド・ブック(「見るべきもの」をコード化し、共用可能とする)、旅行会社のポスター(エキゾティシズムの喚起)
[図版]ロジェ・ブロデール*16による鉄道会社のためのポスター(主に1922-32年)
観光地ごとの一種のステレオタイプを示す。「ローカル・カラー」(「ご当地」的なもの?)。
・「海辺」の誕生*17
18世紀における「海岸保養」(原型は古代ローマに遡れる)のリヴァイヴァル
海辺の別荘地=上流階級の社交場→ブルジョワジーの参入→1840年頃から急速に大衆化。
海水浴:療養の効果があるとされる。当時「スポーツ」と「衛生」が持った意味。
[映像]ルキノ・ヴィスコンティ監督(原作:トマス・マンの同名小説、1910年)『ヴェニスに死す』1971年。
←海辺に観光旅行にやってきた休暇中のブルジョワ市民たち。
・「海水浴」ブームにより、(主に女性の)皮膚と身体にまつわる美の基準が変容:「日焼け」と「バストへの注目*18」☜「旅行」の態様の変化が、身体に対する規範的イメージをも変化させる。
[図像]海水浴・日光浴と「グラマー」:クララ・ボウ(1920年代)、ジーン・ハーロウ(1930年代)。エキゾティックなイメージと「セクシー」との融合。
c.f. [図像]西洋美術史とバストの表象:キリスト教的倫理観、「母性」の象徴……
①古代ギリシアの豊穣の女神(アルテミス)
②ヤン・ファン・エイク《玉座の聖母子(ルッカの聖母)》1435年頃、シュテーデル美術館(フランクフルト)
③サンドロ・ボッティチェリ《ウェヌスの誕生》1485年頃、ウフィツィ美術館(フィレンツェ)
④ルーカス・クラナッハ《ウェヌスと蜂蜜を盗むクピド》1531年頃、ボルゲーゼ美術館(ローマ)
⑤フォンテーヌブロー派《浴槽のガブリエル・デストレー姉妹》1594年頃、ルーヴル美術館
⑥ピーテル・パウル・ルーベンス《毛皮をまとったエレーヌ・フールマン》1636-39年、美術史美術館(ウィーン):リアリズムへの覚醒?
おまけ:[映像]マイケル・トッド制作(マイケル・アンダーソン監督)『80日間世界一周』1956年(原作:ジュール・ヴェルヌの同名小説、1872年)。トーマス・クック社に世界旅行の相談に行く場面あり。
*1:邦訳版:ミシェル・ビュトール『時間割』清水徹訳、河出文庫、2006年。
*3:邦訳版:ミシェル・ビュトール『心変わり』清水徹訳、河出文庫、2005年。
*4:取り上げられている題材は局所的だが、このテーマを概観できる入門的二次文献として次のものがある。ヴィンフリート・レシュブルク『旅行の進化論』林龍代・林健生訳、青弓社、1999年。
*5:邦訳版:デューラー『ネーデルラント旅日記』前川誠郎訳、岩波文庫、2007年。
*6:世界地図作製の背景にあった時代の欲望については、以下の書籍が「都市の社会学」の立場から詳細に分析している:若林幹夫『地図の想像力』講談社選書メチエ、1995年。
*7:イギリスからイタリアへと向かう一般的な旅の生活を紹介:本城靖久『グランド・ツアー――良き時代の良き旅』中公新書、1983年。
*8:邦訳版:ゲーテ『イタリア紀行』上・中・下、相良守峯訳、岩波文庫、1942年。
*9:エドマンド・バーク『崇高と美の起原』(1757年)鍋島能正訳、理想社、1973年、82ページ。
*10:William Gilpin, Three Essays on Picturesque Beauty ; on Picturesque Travel and on Sketching Landscape …, London : printed for R. Blamire, 1792.
*11:リンダ・ノックリン『絵画の政治学』坂上桂子訳、彩樹社、1996年、65-66ページ。
*12:エドワード・W・サイード『オリエンタリズム』上・下、板垣雄三・杉田英明監修、今沢紀子訳、平凡社ライブラリー、1993年。
*13:参照:ソースティン・ヴェブレン『有閑階級の理論』高哲男訳、ちくま学芸文庫、1998年(他にも異なる邦訳複数あり)。文化社会学の基礎的文献。
*14:[書評課題]ヴォルフガング・シベルブシュ『鉄道旅行の歴史――19世紀における空間と時間の工業化』加藤二郎訳、法政大学出版局、1982年。
*15:例えば次の文献を参照:北河大次郎『近代都市パリの誕生――鉄道・メトロ時代の熱狂』河出ブックス、2010年。
*16:Roger Broders, 1883-1953, フランスのポスター作家。Paris Lyon Mediteranée(PLM)鉄道会社のために、主に戦間期に各観光地の特徴を強調したポスターを作成。
*17:参照:アラン・コルバン『浜辺の誕生 :海と人間の系譜学』福井和美訳、藤原書店、1992年、第5章「浜辺リゾートの創出」(479-539ページ)。コルバンはアナール学派の系譜を引く歴史家。