死都ブリュージュ (岩波文庫)

死都ブリュージュ (岩波文庫)

原文:http://books.google.co.jp/books?id=4FfsDI5QFUUC&lpg=PA1&hl=ja&pg=PA1#v=onepage&q&f=false
「都市と書物/書物から立ち上がる都市空間」というテーマの一環として。

この情熱研究の書において、ともかく私はとりわけ一つの「都市」を呼び起こしたい(évoquer une Ville)と思った。人々の精神状態と結ばりあい、忠告し、行為を思いとどまらせ、決心させる一人の主要人物のような「都市」を。
かくして、私が好んで選んだブリュージュは、現実のなかにほとんど人間そのものとして姿を見せる……その影響力はそこに滞在する人々に及ぼされる。
この都市はその風光と鐘とによって彼らを育成する。
私が示唆しようと願ったもの、それはまさにある行為をみちびく「都市」であって、その町の風景は、たんに背景とか、少々独断的に選ばれている叙景の主題としてあるだけでなく、この書の事件そのものと結びつく。
ブリュージュの書割(décors)は事件のやま場に力をかすものであるから、したがってページのあいまには書割を挿入し、ぜひともそれを再現させなければならない(il importe … de les [=décors de Bruges] reproduire également ici, intercalés entre les pages)。河岸、ひとけない通り、古い家屋、掘割、ペギーヌ会修道院、教会、礼拝用の金銀細工、ベフロワ。そうすることによって、本書を読む人たちも、この「都市」の姿に魅せられ、その影響力を受け、いっそう身近な水の流れに感染し、読者自身、高い塔が本文にながながと投じている影を感じとるにちがいない。
(上掲書5-6ページ、強調と原文挿入は引用者による。)

プロローグでの宣言通り、本文のページには時折、ブリュージュの街を写した写真が挿し挟まれる。特にキャプションは付されておらず、切り取られた風景も、名所を写した絵葉書のようなものというよりは、無名の生活情景に近い。都市小説と写真というと、個人的にはアンドレ・ブルトンの『ナジャ』やゼーバルトの一連の小説を連想してしまうが、むしろローデンバックこそがその先駆者なのかもしれない。


ストーリーの焦点は、都市ブリュージュの描写というよりもむしろ、一人の男性(主人公であるユーグ)と、互いによく似た二人の女性――ユーグの亡き妻と、踊り子のジャーヌ――に在る。二人の女性は、死と生、聖と俗、過去と現在という境界面を対称とする鏡像関係にあるといってもよい。ユーグは亡き妻を神聖化し、彼女の遺髪を聖遺物になぞらえる。ジャーヌは当時いわゆる高級娼婦の領分に属しており、ユーグというパトロンを得て後は、多額の買い物を付け払いでするような種類の女性である。悪ふざけに興じたジャーヌが、亡き妻の髪の毛を自らの首に巻き付けたとき、激高したユーグによって彼女は絞殺される。死せる聖女の身体痕跡が、生と俗の領域に属する女性の身体と一体化したとき、鏡像関係にあったはずの二人の女は、ともに死の側へと追いやられるのである。


「鏡像関係」にある二人の女性という趣向は、例えば川端康成なども好んで用いたが、川端の文体や選び取るモティーフが植物的なエロスを湛えているのに対し、ローデンバックの描き出す世界は鉱物質のネクロフィリアに支配されているかのようである。それもまた、ブリュージュという都市がもつ性質の反映なのかもしれない。(私はまだこの都市を訪れたことがない。)岩波文庫版の訳者解説には、クノップフの《みすてられた街》が挿入されている。この小説に漂う「死の静謐」といった雰囲気に、相応しいイメージだと思う。