岩石の摩滅や肉体の衰耗などに見られるこのような腐蝕は、人間の働きを思い起こさせる。古ぼけた壁に出来るあのしみやかびは――それらは、レオナルドにとっては、ほんのちょっとした断片のなかに認識されるべき或るひとつの世界の「部分」なのだ――われわれに語りかけるが、それは、それらが、まだ形をなさぬものとして、生まれ出ることを待ちのぞんでいるからであると同時に、生まれ出されもしないうちから、おのれの消失を知らせているからでもある。われわれは、破壊やひび割れが、虚無を否認しあるいは肯定するがゆえに、それらを愛するのではない。[…]すなわち、ひび割れは、膨れあがった血管のようにひろがり、乳房に出来たひびのように口を開くのであり、瀝青に出来る小穴は、蜂窩織炎がつくる穴のようにひろがるのだ。亀裂は、皺が人の顔を蔽うように、壁を蔽うのである。[…]時間の、風化し増殖するいっさいのものの、すばらしいふるえは、このような[不滅のもののいつわりの]秩序を打ちこわすのだ!
(ガエタン・ピコン『素晴らしき時の震え』粟津則雄訳、新潮社、1975年、53ページ。)