埼玉大学ヨーロッパ文化特殊講義
第3回:異時間都市の考古学――カミッロ、カナレット、ピラネージ
【講義概要・図版情報】
1.記憶の場としての劇場空間と都市
古代の記憶術=場所/イメージと記憶との結合。一連の「文章」を暗記するための手法である→想像内の建築物を「正しい順序で」巡りつつ、そこに定置した単語を想起することで、秩序だった一連のテクストを口述することが可能となる。アルス・メモリア(記憶の術)=アルス・コンビナトリア(結合の術):アルゴリズム的な組合せも可能に。
★フランセス・アメリア・イエイツ:ルネサンス時代のヘルメス主義や新プラトン主義を研究。『記憶術』は古代の雄弁術に端を発し、ルネサンス期に興隆した記憶術に注目し、当時の神秘主義の空間・世界・宇宙イメージを読み解いた書。
[引用]記憶と場の結合について――古代の記憶術
記憶法の一般原則を理解するのは難しいことではない。第一段階は、一連のlociすなわち場を記憶に刻み込むことである。[…]もっとも頻繁に用いられた記憶のための場システムの型は、建築物の類である。その間の過程を一番分かりやすく説明しているのが、クインティリアヌス*1である。一連の場を記憶の内に形成するためには、ある建築物をまるごと記憶せねばならない、と彼はいう。それも、できるだけ空間的広がりをもち、同時に変化に富んだ場所、たとえば、前庭広場、居間、寝室、客間などを、そこに配された彫像その他の装飾物一切を引っくるめて。演説を思い出させる鍵となるべきイメージ――一例としてクインティリアヌス は錨や武器を用いてみよと述べている――が、次に、建築内部の記憶された個々の場に、想像の上で配置される。この作業が終わり、諸々の事実の記憶を呼び戻す必要が生ずると直ちに、すべての場は順次立ち寄られ、さまざまな一時預け物がその保管者に請求されることになる。古代の演説者が雄弁を振るいつつ、想像の上で自分の記憶に用いた建築内を動き回り、記憶した個々の場から、自ら配置ずみのイメージを引き出している姿を、われわれは思い描いてみる必要があろう。この方法を使えば、主要論点は確実にあるべき順序で記憶される。何故なら、その順序は、建築内の場の連なりの順序によって固定されて動かないからである。*2
[画像]ヨハンネス・ロンベルヒ『記憶術集成』(ヴェネツィア、1533年)により修道院の建築物を用いた記憶体系。(上述のクインティリアヌスの記憶術と同種の手法。)
[引用]
[ロンベルヒの記憶術の、階層的宇宙、黄道十二宮に続く]第三の場のシステムは、現実の建物の現実の場所、たとえば、木版挿絵にみられる、大修道院とそれに付随する建物のような場所を用いる、はるかに正統的な記憶技術的なやり方である。この建物のなかのそれぞれの場に彼がおこうとしているイメージは、すでに論及したタイプの「記憶のための事物」のイメージである。ロンベルヒの著書のこの部分でわれわれは、「純粋な記憶技術」の領域に入っている。*3
[画像]ジュリオ・カミッロ *4「記憶劇場」『偉大なる男ジュリオ・カミッロの劇場の理念(L’Idea del Theatro dell’eccellen. M. Giulip Camillo)』(フィレンツェ/ヴェネツィア:1550年刊行)を元にイエイツが復元した図。←半円状の空間に配置された記憶がミクロ・コスモスを形成する。
[引用]
…イメージを鏤めた木造の劇場… *5
〈劇場〉は七段の上り勾配になっていて、七つの惑星を表す七つの通路で貫かれ分けられている。[…]カミッロの〈劇場〉は、しかしながら、実際にはウィトルウィウスの劇場の平面図を歪曲したものにすぎない。七つの通路の各々の上に七つの門または扉がある。これらの門は多くのイメージで飾られている。[…]カミッロの〈劇場〉においては、劇場の正規の機能が逆転しているのだ。客席に座って舞台で演じられる劇を眺める観客はいない。この〈劇場〉の唯一人の「見物客」は舞台のある場所に立ち、客席の方を見る。七段をなして高くなっていく客席の七の七倍の門の上に描かれた像を、つくづくと見やるのである。*6
→このような「記憶劇場」の形態は、都市の理想的モデルとしても流通していった(c.f.ペルジーニ『哲学的建築』)。
★参考:記憶劇場と共通の構造を持つ空間の例
[画像]クロード=ニコラ・ルドゥー設計、アルケ・スナンの王立製塩所(1779年竣工)。
[画像]同上《ショーの理想都市の透視図》『建築論』(1804年刊行)収録。
[画像]マルキ・ド・サド『ソドム120日』に登場する広間の構造。眼差しの交錯による暴力性とエロティシズム(c.f.サドのテクストにおける「都市空間」性)
[画像]ジェレミー・ベンサム「パノプティコン(一望監視施設)の設計図」1785年。
☞半円形ないし円形の構造は、「完全性」を象徴する幾何学図形であると同時に、「視線」による支配とも結びついている。
2.コラージュ・シティと「群島」ヴェネツィア
[画像]ジョヴァンニ・アントニオ・カナレット *7《カプリッチョ:パッラーディオによるリアルト橋の計画案とヴィチェンツァの建築群》1755−59年、パルマ・ナショナルギャラリー。
←現実のヴェネツィアのカナル・グランデ沿岸の風景に、16世紀の建築家パッラーディオ*8が近郊の街ヴィチェンツァに建てた二つの建築物と、パッラーディオ設計だが実現しなかったリアルト橋案を配置した図。つまり、ヴェネツィアの当時の実景の中に、別な場所に建てられた建築物と、非在の橋の計画案(未来時制の建築)がコラージュされている。(18世紀当時のイギリスではパッラーディオの建築様式がリヴァイヴァルしていた。ヴェネツィア外のパッラーディオ作品が、この街のランドマークであるカナル・グランデ周辺に取り集められたのは、このパラディアニズムを反映した趣向。)
[画像]カナレット《大運河:リアルト橋を南から望む》1727年頃、個人蔵、イギリス。
←ほぼ実景通りのリアルト橋周辺の景観。
[画像]カナレット《カプリッチョ:サン・ジョルジョ・マッジョーレ教会とリアルト橋》1746-55年頃?、ノース・カロライナ州立美術館。←ヴェネツィアの離島にあるパッラーディオ建築(S.G.M教会)が、本島の中心にあるリアルト橋の袂に「移築」される。
[画像]ウィリアム・マーロウ《カプリッチョ:セント・ポール寺院とヴェネツィアの運河》1795年頃、テイト・ギャラリー、ロンドン。←カナレットの模倣。カナル・グランデの傍に今度はロンドンのランドマーク的建築物が移植される。イギリス人画家による、ヴェネツィアとロンドンを融合する(あるいはヴェネツィアを領有する)試み?
[引用]ヘテロトピア(共通の基底面なき混在郷)としてのカナレットのヴェネツィア
ピラネージがこうした「自由を形態と引用と記憶との非連続的モンタージュに見出した[…]ということは重要である。このようなアッセンブラージュのオブセッシブな技法のゆえに、フーコーの定義した混在郷(ヘテロトピア)を思い起こすことは可能であろう。つまり――フーコーがいうには――非在郷(ユートピア)が、広々とした並木路のある街」をひらいてくれることによって人を慰めてくれるのに対して、混在郷の方は、ひそかに言語を掘り崩し、『統辞法』を同時に崩壊させてしまう。その『統辞法』というのは、単に文を構成する統辞法のことばかりではない――語と物とを『ともにささえる』(並べ向きあわせる)それほど明確ではない統辞法をも含んでいるというわけだが、こうした混在郷とは、カナレットによって構成された非在のヴェネツィアもまたそうなのではあるまいか? *9
[引用]だが《混在郷(エテロトピー)》は不安をあたえずにはおかない。むろん、それがひそかに言語(ランガージュ)を掘りくずし、これ《と》あれを名づけることを妨げ、共通の名を砕き、もしくはもつれさせ、あらかじめ「統辞法」を崩壊させてしまうからだ。[…]統辞法というのは[…]語と物とを「ともにささえる」(ならべ向きあわせる)、それほど明確ではない統辞法も含んでいる。だから非在郷(ユートピー)は物語や言説(ディスクール)を可能にし、言語の正当な戦上、《ファブラ》の基本的次元にあることになろう。他方、混在郷(エテロトピー)は[…]ことばを枯渇させ、語を語のうえにとどまらせ、文法のいかなる可能性にたいしても根源から異議を申し立てる。[…]ある種の失語症患者は、台(ターブル)のうえにおかれたいろいろな色の毛糸の束を、整合的なやり方でわけることができないという。[…]彼らは、物がふつう配分され名づけられるなめらかなこの空間に、粒状で断片的なおびただしい小領域をつくりだし、そこでは、名も与えられぬ類似関係が、物を非連続的ないくつもの孤島のなかに押し込めてしまう。*10
←混在郷(エテロトピー/ヘテロトピア)としてのカナレットの描く奇想の都市では、言語の正統な秩序が転覆している←→記憶術における都市と建築物の順序
[引用]コラージュ・シティのモデルとしてのカナレットによるヴェネツィア
しかし、パラディオの建物によって構成されているカナレットの空想のリアルト橋風景は、現実の状況と比較してみたときに、『コラージュ・シティ』でとり上げてきた論点のいくつかを含んでいるということができるだろう。 *11
[引用]コラージュが規範と記憶とを巧みに操作すること、および時代に逆行した姿勢とに完璧に依存するものであることを示唆するものである。*12
[画像]ヨゼフ・ハインツ(子)《ヴェネツィアの建築物のある想像上の景観》1670-75年頃、パラッツォ・アルブリッツィ、ヴェネツィア。←空白地帯としての海上に、ヴェネツィアのランドマーク(聖マルコの獅子、騎馬像、サン・ジョルジョ・マッジョーレ教会)が取り集められる。
←「ユートピア」(事物が並べ置かれる共通の基底面のある非在郷)としてのコラージュ的「カプリッチョ」。
[画像]アルド・ロッシ*13《類推的都市》1976年、アルド・ロッシ・アーキテクト、ミラノ。
←ピラネージの《カンプス・マルティウス》(18世紀)やチェーザレ・チェサリーノの都市計画(16世紀)の断片と、自ら描いた都市計画図や人物像とをコラージュ。ロッシはカナレットによる《カプリッチョ:パッラーディオによる…》を参照し、それが建築史とヴェネツィアの都市史の双方に関連した要素から構成される、ヴェネツィアの「類似物」であると言う。
[引用]ロッシの類推的都市
[…]私は[…]類推の都市という仮説を提起し、これによって建築の計画立案にまつわる理論的問題を考えてみようとした。[…]こうした考え方を例証しようとして、私はカナレットによるヴェネツィアの風景画について若干の考察を行なったのだが、この絵はパルマの博物館所蔵で、パッラーディオのリアルト橋の計画案やバシリカ、パラッツォ・キエリカーティなどが寄せ集められ描かれていて、あたかも画家がそのような風景を実際に見てきたかのように描かれる。三つのパッラーディオ作品、しかもその内の一つは計画案だけのものが、このように類推のヴェネツィアを創り上げ、その建築と都市を成り立たせている要素群は確固たるものでしかも双方の歴史と結びついたものなのだ。モニュメントの地理的場所を移して仮想の場に集めることによって一つの都市が出来上がっているのであるが、ただしその都市は、純然たる建築的価値の支配する場所として認知される。*14
☞ヴェネツィアの土地と都市形成史自体が、モザイク的であり、群島的であり、建築物とその敷地との脆弱な結合関係を基盤としている。カナレットによる「都市的要素のコラージュ」は、このようなヴェネツィア性の反映でもある。(c.f. Massimo Cacciari, L’arcipelago, Milano : Adelphi, 1997.群島としてのヴェネツィア/群島としてのヨーロッパ)
3. ローマのアッサンブランージュ
[画像]ジョヴァンニ・バッティスタ・ピラネージ《古代アッピア街道とアルデアティーノ街道の交差点》『ローマの古代遺跡』1756年、エッチング。
←様々な場所と時間に属する古代遺跡・遺物の断片が、ローマのアッピア街道上に取り集められ、いわば空想上のアッサンブラージュを構成している。異時間と異空間が混在する空間。
[画像]ピラネージ《カッフェ・デッリ・イングレージのためのエジプト風彫刻》『暖炉の様々な装飾法』1769年、エッチング。
[画像]ジョヴァンニ・パオロ・パンニーニ*15《現代ローマの景観図ギャラリー》1759年、ルーヴル美術館。
[画像]パンニーニ《古代ローマの景観図ギャラリー》1758年、ルーヴル美術館。
[画像]ピラネージ『ローマの古代遺跡』第1版第2刷タイトルページ、1756年、エッチング。
☞ピラネージによるローマ:断片性、異質な時間や場所に属する要素のモンタージュ、時間の複数性・多重性☞ローマの地層の重層性、「建築の起源」の多重性と通底。
c.f. [画像]ポール・シトロエン《メトロポリス》1920/23年、個人蔵、オーストリア。
←ダダイズムにおけるフォト・モンタージュ都市。様々な視点から写された建築写真。ピラネージにおいては巧妙に保たれていた「同一空間・平面のイリュージョン」すら存在しない。非モニュメンタルな(無名/匿名の、無歴史的な)近代都市のエレメントの集合。
【参考文献】
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*1:引用者註:Quintilian, 35 ?-95 ?年。スペイン出身、ローマで活躍した弁論術教師・執政官。当時大きな影響力を持った彼の著作『弁論術教程』は、ルネサンス期に再評価される。
*2:イエイツ『記憶術』22-23ページ。
*3:同上、148-149ページ。
*4:Giulio Camillo, 1480頃-1544年。イタリアの文人、学者。記憶のための劇場を構想し、資金作りのためにイタリア各地を点々とするも実現しなかった。
*5:イエイツ、上掲書、163ページ。
*6:同上、170ページ。
*7:Giovanni Antonio Canal, 通称Canaletto、1697-1768年。主にヴェネツィアで活躍した「都市景観画(ヴェドゥータ)」の名手。ヴェネツィアの「名所」やローマ遺跡などを描いた彼の作品は、グランド・ツアーの流行やパラディアニズムに代表される建築の古典主義を背景に、とりわけイギリス人貴族に愛好された。当時、建築画(設計図面)、都市景観画(油彩画・銅版画)、舞台背景画(都市光景を主とする書割り)は姉妹芸術であり、都市景観を描く画家は建築デザインの素養もあるのが通例だった。カナレットがリアルト橋の設計案を考案したのも、このような背景がある。
*8:Andrea Palladio, 1508-1580年。パドヴァ生まれ、ローマで修業した建築家。代表作にヴィチェンツァのバシリカ(パラッツォ・デッラ・ラジョーネ)、ヴェネツィアのサン・ジョルジョ・マッジョーレ教会、またテアトロ・オリンピコの設計案などがある。
*9:タフーリ『球と迷宮』68ページ。
*11:ロウ、コッター『コラージュ・シティ』273ページ。
*12:同上、223ページ。
*13:Aldo Rossi, 1931-1997年。イタリア(ミラノ)の建築家。設計のみならず、独特のドローイングやプロダクト・デザイン、建築理論の分野でも活躍した。
*14:ロッシ『都市の建築』280ページ。
*15:Giovanni Paolo Pannini, 1691-1765年、主にローマで活躍したイタリアの画家・舞台・室内装飾家。