都市の解剖学

パリの夜―革命下の民衆 (岩波文庫)

パリの夜―革命下の民衆 (岩波文庫)

第31夜 ばらばらにされた死体
[…]帰りはサン=マルタン通りからジェーヴル通り、シャンジュ橋、それにサン=ミシェル橋を通った。ユシェット通りの角の、通称「浮浪者のたまり場」で、数人の若者がアルプ通りの坂を急いでのぼってゆくのを見た。私が彼らが「浮浪者のたまり場」で何をしたのかを見に行った。すると、私が見出したのは……解剖された一人の子供の手足だった。体がぶるぶる震えた。……しかし私にできることは何もなかったので、引き上げた。翌朝、街角の薬剤師の店へ出かけた。彼の家の窓の下で私が見つけたものを知らせるつもりだった。彼は笑いだした。「あれは解剖の残りなのですよ。若い外科医見習生には死体利用が認められていないものですから、彼らは死体を盗むか、でなければ買い取らなければならないってわけです。連中は解剖が終わると、どうしたらいいかもう分からなくなり、ばらばらになった死体を四人でかつぐのです。前方に二人と後方に二人が急を知らせるために付き添ってゆきます。通りにあるいくつかの秘密の通路を知っていて、その通路の扉を用心のため開けておき、危険な場合はそこへ避難します。やっとここに着くと、死体の残骸を放りだして逃げてゆくのです」「外科医に合法的に死体を与えないのはどういうわけなんです」「それは良識ある人なら、だれでも尋ねることですよ。重罪犯人の死骸や有罪を宣告されて獄死した者の死体は、外科医たちに任せるべきでしょうね。異常な病気にとりつかれた施療院患者の死体にしてもそうです。私はちょっとした意見書のなかで、幾人かの生きている極悪人どもを公立解剖室に引き渡し、奴らで実験してみたらどうかという提案さえしたことがあります。そうすれば、奴らが厄介をかけてきた国民にその死を二重に役立たせることになりますからね。でも、それでは蜀人行為のようなものだと、すごい剣幕ではねつけられましたよ」この説明に満足した私は、まったく同感だと言って薬剤師の店を出た。
(レチフ・ド・ラ・ブルトンヌ『パリの夜 革命下の民衆』植田祐次編訳、岩波文庫、1988年、37-38ページ。)

ここで触れられているのは「解剖された身体」そのものであるが、ブルトンヌはまた別所で、パリの街を人体の部位に喩えるレトリックを使ってもいる。