victorian mourning jewellery

  
写真左:ロンドン万国博(1851年)を記念した、象牙のブローチ。小さなフォトスタンドになっていて、水晶宮のモノクロ写真が収められている。周囲には勿忘草のレリーフ。微かに水色の絵の具が残っているので、当初は彩色されていたのだろう。
写真中・右:遺髪を編んで作った文様を中心にしたブローチ。
(これらはMatild in the Garretというアンティークショップの商品。写真は公式サイトからお借りした。このページこのページで商品説明が見られる。)


写真をあしらったブローチは、自分は初めて目にしたのだが、専門の研究書が出ているというから、19世紀には決して珍しいものではなかったのだろうか。Matildの店頭で見たときには、他にも肖像写真をあしらったブローチが2点ほどあった。遺髪を用いた装身具も、編んで時計の鎖にするという話は聞いていたが、網目を装飾的な意匠に見立てたものに出会うのは初めてである。


水晶宮の写真入りブローチはまた別の分類になるだろうが、死者を記念するための装身具はモーニング・ジュエリーと呼ばれて、ヴィクトリア時代のモードだった。夫アルバート公の死去後、長らく服喪したヴィクトリア女王の服装が、その流行の源となった。ジェット(貝褐炭、流木の化石化したもので、光沢のある漆黒の鉱物)や黒エナメルのほか、死者の髪の毛もモーニング・ジュエリーの代表的な素材である。それらはヘア・ジュエリーと呼ばれ、一定の模様に編んだものをガラスやクォーツの板に挟んでブローチやロケットに仕立て上げたもの、鎖状に編んで時計のチェーンやブレスレットにしたものなどがあったらしい。ロンドンにはこういったヘア・ジュエリー専門の職人が大勢おり、また一般家庭でも、死者の娘の仕事としてなされていたそうだ。
死者に対する喪ではないが、不在の人の記憶を留めるための装身具という点では、中産階級に流行したミズパ(mizupha)ブローチというものもある。長い別離を余儀なくされた恋人同士が送りあったもので、ハートや勿忘草などを象った銘版に、創世記からの一節(the load watch between me & thee when we are absent one from another)が刻まれているという。(参考文献:『The あんてぃーく vol.3 特集装飾具』読売新聞社、1989年)
そしてまた、forget me notという直截的な名を持つ勿忘草も、この時期に好まれたモチーフである。


不在者への感傷的な追憶が、身に纏う小さな装置によって表現され、喚起される。ヴィクトリア期とは、記憶すること、あるいは忘れないことに取り憑かれた時代だったのかもしれない。(そう言えば、postmortemと呼ばれる死後の肖像写真が流行するのも、ちょうどヴィクトリア期だったはずだ。postmortemを集めたサイト→