もうひとつのルネサンス (平凡社ライブラリー)

もうひとつのルネサンス (平凡社ライブラリー)

個人的な関心から、第5章の「ディレッタント登場」と第7章の「アンチ美術館の論理と倫理」を中心に読む。

日本における「芸術についての(受容側の)専門家」が登場したのはいつ、どのような過程でなのか、ふと疑問が沸いた。もちろん、(後世「芸術品」と名指されるようになる物の)制作者ははるか昔から存在したであろうし、その流通経路(つまり商人)も前近代から存在していたのではないかと思う。だが、「美術について語る専門家」つまり「美術史家」だとか「批評家」などは、やはり近代以降の産物なのではなだろうか。これはまだ憶測だけれど。真贋を見極める「鑑定家(目利き)」の歴史も、日本ではどうなっているのかが気になる。
もっとも、画につける「画賛(讃)」も、ある意味では「作品について(作者以外が)語ったテクスト」とも言えてしまうわけで、そういう伝統との連続性と断絶にも注意を払わなければならないのかもしれない。

美術館の問題に関しては、ヴァレリープルーストの構図は既に有名だが、岡田氏が焦点を当てるのは、カトルメール・ド・カンシーである。カンシーは、作品が本来置かれている場との連関を断ち切ってしまう美術館という展示の制度に、批判の眼差しを注ぐ。
美術館論で思い出すのは、谷川渥氏がこのテーマに際して度々取り上げてきた、小林秀雄の骨董論だ。小林は、骨董に触れ撫で回すことを鑑賞経験の本質とし、それを禁じる西洋近代的な美術館に不快の念を示す。谷川氏自身は小林の論に懐疑的なのだが、それはともかく、日本に導入された「美術館(ないし博物館)」が、それまでの鑑賞経験とはまったく異なった態度と経験を強いる制度であったことは事実だろう。
西洋では既に「美術館という制度」については議論が一通り出揃っているようだが、日本ではその制度がどのように導入(輸入?)されたのか、それは従来の書画骨董に対する鑑賞体験をどのように刷新したのか、その辺りも一度精緻に調べておきたい。