visagéité

大学図書館でたまたま出会った一冊。

Domonique Baqué, Visages: du masque grec à la greffe du visage, Paris: Edition du Regard, 2007.
http://www.amazon.fr/dp/2841052141/
サブタイトル(ギリシアの仮面から顔の移植手術まで)を見ると「顔」表象の通史かと思ってしまうが、引用されている図版は近代以降のものが圧倒的多数。取り上げられているのは、キリストの顔の「写し」であるマンディリオンから、アントネッロ・ダ・メッシーナ肖像画、ラファーターやシャルル・ル・ブランの観相学、19世紀の精神医学関連写真(G.B.A.ドゥシェンヌやレニャールらによるもの、ディディ=ユベルマンの『ヒステリーの発明』にも同じ写真が掲載されていたはず)、及び司法的な「身分証明」写真(ベルティヨン方式など)、フランシス・ベーコンアンドレス・セラーノの「モルグ」シリーズ、ボルタンスキー、シンディ・シャーマン、オルランなど。
セラーノによる「モルグ」写真(要は死者の顔写真)の後には、オリヴィエラ・トスカーニによる写真《ボスニアの兵士》が登場する。戦没兵士の血染めのシャツと軍パンを写したもので、ベネトン社のキャンペーンポスターとなって論争を引き起こした作品である。身体それ自体は不在なのに、誰かの肉体とその死を強烈に喚起させるこの写真は、昔から気になっていた一枚だ。それゆえBaquéによる分析に期待したのだけれど、本文を読むと何のことはない、「アブジェクション」的なイメージという文脈での言及に留まっている。つまり、観者(=消費者)に恐怖や共苦(compassion)、嫌悪、感情移入、眩惑といった二律背反的な感情を生じさせる、衝撃的な視覚イメージとして、セラーノによる死体写真と、同じくベネトン社によるアメリカ死刑囚の顔写真を用いたキャンペーンポスター(こちらは図版が掲載されていない)とを繋ぐトピックとして取り上げられているに過ぎないのだ。フランス語の書籍を斜め読みして批評できるほどの仏語力はまだまだないので、ひとまずこれだけ。ちなみに目次は以下の通り。

第1章:顔、偽の証拠(le visage, une fausse évidence)
第2章:文化的、象徴的構築(une construction culturelle et symbolique)
第3章:コード化、分類、判断、封じ込め(codifier, classer, juger, enfermer)
第4章:紊乱すること、形を歪めること(outrages et défigurations)
第5章:私が拒絶するこれらの顔(ces visages que je refuse)
第6章:「波打ち際の砂の表情のように……」("comme à la limite de la mer un visage de sable")