失われたオブジェを求めて

木下直之『世の途中から隠されていること――近代日本の記憶』晶文社、2002.(ISBN:4794965214
諧謔の精神に富んだ、飄々としたエッセー集ながら、刺激的で鋭い指摘に満ちている。示唆的だと感じた箇所をいくつか。鍵概念は死者の記憶、肖像、「似ている」こと。

災害死にかぎらず、遺族が死者の死にざまを語ることは普通に行われる。(…)争議での遺族代表の挨拶とは対照的に、それは私的な会話に終始する。死にざまを口にし、聞き手がそれを共有したと信じることで、遺族は癒される。おそらく、それとよく似たことを、大災害に見舞われた社会はもっと大規模に必要とするのだろう。
(60ページ.「震災につき休載1 ふたつの震災報道をめぐって――神戸と江戸」)

蝋人形の作者は本人に似せることだけに専念すればよく、本人とイメージの距離をかぎりなくゼロにしようとする。
(104ページ.「おーい龍馬、あんたはだれ」)

しかし、蝋人形を現場(龍馬ゆかりの土佐の風景の中)に持ち出すといういたずらのような試みは、蝋人形の持つ迫真力をあきらめて(原文ママ)突きつけたばかりか、龍馬像さえも撹乱させた。百年も過ぎれば、その写真はホンモノの龍馬像として通用しかねない。
(同上)

蝋人形は本物そっくりでなければならない。これが大前提である。したがって、蝋人形館を訪れる不特定多数の観客が共有できる本物らしさが、そこには提示される必要がある。だから、誰もが知っている有名人が選ばれる。それが、昔は政治家か映画スターだった。
観客が共有可能なもうひとつの迫真性とは、彼らの身体に直接訴えてくるものだ。ここでは、蝋人形が誰であるのかはさして重要でない。観客の誰もが身をもって想像できる体験が求められ、それならぞっとさせることが一番だ。だから、恐怖と蝋人形は古くから相性がいいのである。
(129〓130ページ.「『沈鬱なる歴史の場』にて」)

おそらく、こうした鏡に隣接して、絵画や彫刻もある。肖像を表現する画家や彫刻家の仕事とは、長い間、神仏や亡き人の姿を、いわば御影を記録することであった。鏡が映し出す姿を、今度は他人、あるいは後世へと伝える役目である。
さらに十九世紀半ばになって登場した写真が、人の姿を映すという一点において、絵画に隣接したことはいうまでもない。だからこそ、日本に伝来したばかりの写真(ダゲレオタイプ)は、まず「印影鏡」と呼ばれた。まさしく、御影を映し出してしまう鏡と受け止められたのである。
(141〓142ページ.「御影雑考」)

(…)服装や身ぶりや画面構成の類型的に見える表現(もちろん根拠がある)とは対照的に、本人の容貌だけは執拗に追求されている。本人に似せること、本人の身代わりをつくること、それが御用絵師に課せられた使命であったからだ。藩主は死して神となり、肖像は「御影」として礼拝の対象になった。
本人の身代わりをわざわざつくる動機は本人の不在にあり、不在の最たるものは死である。
(179〓180ページ.「人はなぜ肖像を求めるのか」)