西洋との対話

西洋美術と日本(東洋)美術の形態的比較が可能となる基盤について、参考になりそうな文章を発見。

ふつう「比較芸術学」と呼ばれるものは、西洋と東洋というような遠隔の地域における特定の芸術ジャンル同士の比較論的考察である。ここでは基本的に発生関係を顧慮せずに二種類の芸術を比較記述し、両者の類似性と差異性をあげつらうことが問題になっている。しかし比較するためには、まず両者を同一のレヴェルに並べる共通点、修辞学的にいえば比較点()を必要とするから、それをどこに定位するかによって比較記述のありようが大いに異なってくる。[中略]フライの著作[『比較芸術学の基礎づけ』(1949年)]と並んで「比較芸術学」の代表的な業績としてしばしば挙げられるものにベンジャミン・ローランドの『東西の美術』(1954年)があるが、ここでは比較点は、人体、風景、禽獣、花卉、静物というように、もっぱら造形芸術における題材ないし再現対象にほかならない。風景なら風景というふうにまず比較点を限定し、そしてローランドみずからいうところによれば、「類似性の直観」にもとづいて「東西の美術の偶然的な並行現象を例証する」ことが、そこで採られる基本的な方法である。[中略]ここでは類似性から差異性の認識に向かうことが、結局、比較考察の利点として確保されることになろう。
(谷川渥『美学の逆説』ちくま学芸文庫、2003年、287-288ページ。)

「比較芸術学」なるものを、この言葉の本来の志向にしたがって発生関係のない二種の芸術間の比較に限定するか、あるいは影響関係にある芸術同士の比較ととるか、あるいはそのどちらも意味するものとするか、いずれにしても、そうした比較論の台頭[本文は旧字]の背景にはある種の条件が存在したことを銘記しておかなければならない。なによりもまず古典主義的な美的規範の絶対性が崩れ、そしてそれに応じて様式論の隆盛を見たことが前提となる。様式とは、そもそも相対主義的な概念なのだ。しかし「比較芸術学」という学問的動機の生成には、なんといっても西欧にとって<他者>との遭遇が必要であった。自分自身を相対化してくれる<他者>、そして新たな自己認識を迫る<他者>の存在が。しかしそこでは、自己と他者が同列に並べられ比較されるために、両者が同じ芸術であるという了解が要請された。
(同上、289ページ。)