表象文化論学会

ご来場くださった方々、どうもありがとうございました。

矢代論について、ご指摘いただいた点をメモ
・「西洋」と比較することで、むしろ「単一のもの」として現れ出てきてしまう「日本」イメージ
・野上豊一郎ら大正教養主義世代が、1930年代に一斉に「日本」に向かった現象との共振性
・矢代による「日本美術史」の中での、「中国」の位置付けの希薄さ→日本美術に優越する存在・模範である存在としての「中国」を乗り越えるために導入された「西洋美術」概念。e.g.『稿本日本帝国美術略史』
・『サンドロ・ボッティチェルリ』でのイメージによる自由連想がもつ強度が、帰国後衰えていったのは何故か?
・矢代の師バーナード・ベレンソン(1865-1959、ハーヴァード大で学ぶ)と岡倉天心との接点
・クロースアップであると同時に「モンタージュ」、エイゼンシュテインの営為との通底性(?)

矢代は帰国後も、複製と目録によるミュージアムという構想を持っていて、この点も「記憶のアーカイヴ」と言う観点からは(今日ではありふれた議論であるけれど、矢代の時代を考えれば)面白い。ただ、彼の活動の一局面だけを切り出してきても、それらは全てある種の「典型」なのであって、むしろ様々な面――レンズアイ・複製・類似するイメージの連結といった問題系、戦中・戦後における日本美術史とナショナル・プライド問題、など――が一人の人物の中に共存していることが、いちばんの要所なのではないか。

分かり易い図式に安直に当てはめて満足するのではなくて、もう少し矢代の思考や社会とのインタラクションの複雑さ(あるいは混乱)に、寄り添う必要があると思う。

最終的には紀要論文として発表する予定なので、著作権管理者でもあるご遺族の方(矢代若葉氏)にコンタクトを取る必要があるのだけれど、こういう実務的な手続きの仕方がさっぱり分かりません。