西洋との対話

  • 児島喜久雄(1887―1950):矢代の帝大時代からの友人。レオナルド・ダヴィンチ研究。リップス、マックス・フリートレンダーらドイツ系美学・美術理論を継受。
  • 阿部次郎(1883―1959):ドイツの美学者テオドール・リップスによる「感受移入論」の、日本への紹介者。感情移入論に立脚した『美学』、『芸術の社会的地位』など。
  • 澤木四方吉(1886−1930):ルネサンスギリシア古代美術研究。森鷗外の邦訳によるアンデルセン『即興詩人』に感化されイタリアへ。ブルクハルト経由でその子弟ヴェルフリンに傾倒、邦訳を志すが夭逝。論考に「美術の都」(ミュンヘン論)、「花の都」(フィレンツェ論)、「レオナルド・ダ・ヴィンチ」「アフロヂイテの脱衣」など。

参考サイト:
東北大美学・西洋美術史研究室の歩み:http://www.sal.tohoku.ac.jp/estetica/various.folder/history.html
末永航『イタリア、旅する心――大正教養世代がみた都市と美術』自著を語る:http://www.seikyusha.co.jp/genkou/blank35.html
和辻・児島・阿部次郎あたりが比較参照項として有力。

  • 井上赳:「サイタサイタサクラガサイタ」の小学国語読本編纂で知られる国文学者・教育学者。東京帝大国文卒で、矢代より一つ年上。矢代の最初期の著作『ワシントン』(英傑傳叢書 ; 第1編、實業之日本社、1917年)の共著者。もっともこの著作は「美術史家・矢代幸雄」にとっては黒歴史だったのか、自叙伝『私の美術遍歴』の巻末に付された著作一覧には挙げられていない。(この英傑傳叢書シリーズには他にも、カヴール、リンコルン、ナポレオン、 ビスマルク、フレデリキ大王、グラッドストーン 、ネルソン 、ルーテル 、クロンウェル 、ワシントン 、ペートル大帝の巻がある。日本人の執筆によるものも、T.カーライルらの邦訳本もあり。外国人名の片仮名表記のセンスが時代を感じさせる。)余談だが、大正14年には「子供之日本社」から同名のシリーズが出ている。こちらは武蔵や義経赤穂浪士など日本史上の英雄・豪傑たち。こういう子供向けの「偉人の伝記」は、いつ頃から盛んになったのだろうか。

こちらは大政翼賛会による文化運動の資料集。そこで提案されている「文化工作術」は、時代の文脈を捨象して読めば、かなりの部分が今日の文化政策としても通用してしまうことに驚く。地方(とりわけ農村)の主導性を重んじた文化振興、児童への教育、地域の公共建築や商業施設を活用した「国民美術展示所」開設の提案・・・中でも目を引くのが、漫画を民衆教化にとって有用な「文化財」として捉えていること。「漫画をして翼賛運動の啓蒙宣伝面の優秀な文化財たらしむべく」、大政翼賛会漫画展が企画されている。
これは、戦時下に作成された矢代の未公刊資料「対支文化工作ノ目標トソノ方策」(1941)で提唱されている、一種の大東亜共栄圏文化構想が、そのまま戦後の「世界平和に名誉ある地位を占める、文化国家としての日本」という概念に継承されているのとパラレルなのではないか。
文化立国や観光と芸術との結びつきと言う点で、矢代の主張の現代版と言えるのが、「上野の森 ルーブル構想」だろう。「上野の森は地理的条件もルーヴルに似ている」と言ってしまう、日本を西洋に見立てる発想も、フェノロサ岡倉天心志賀重昂伊東忠太和辻哲郎らの直系の子孫という感じで面白い。『天平ミケランジェロ』なんていう本もあるけれど。その点、ボッティチェリ(西洋の名品)の中に歌麿(日本的なもの)を見出す矢代は、発想の方向が逆という点で独創的かもしれない。