パリ4大の博論審査スケジュール一覧の中に、自分の関心と重なりそうなものを発見。
"Etienne Dupérac, graveur, peintre et architecte (vers 1535 ?-1604). Un artiste-antiquaire entre l’Italie et la France"
http://www.paris4.sorbonne.fr/fr/article.php3?id_article=4658

版画家・画家・建築家エティエンヌ・デュペラック(1535頃−1604)――イタリアとフランスを行き来した芸術家・古遺物研究家

論文要旨)
16世紀後半のフランスの芸術家エティエンヌ・デュペラックは、画家でありエッチング制作者であり、また建築家、庭園の専門家でもあった。彼はまずヴェネツィアとローマで活動を開始し、その地に約20年間(1560−1578頃)滞在した。その後フランスに戻り、1596年頃にはアンリ4世のお抱え建築家に就任している。本稿では、ほとんど知られていないデュペラックの作品群と並んで、彼の複雑な職業人生を追うことも目的とした。彼のキャリアは、目覚しい社会的上昇が特徴である。この論文は特に、この芸術家の多面性(polyvalence)、古遺物に関する知識と版画にみられる独自性(特に廃墟風景、建築プランや古遺物の復元図)に重点を置いている。また、デュペラックが古遺物研究を始めるに当って決定的な役割を担ったのが、歴史家オノフリオ・パンヴィーノであった。本稿はまた、デュペラックによる考古学的復元図と建築計画(ともにピッロ・リゴーリオから多大な影響を受けている)とを比較検討している。

第1部:エティエンヌ・デュペラックと古遺物収集家オノフリオ・パンヴィーノとの協働関係(1565年−1566年頃)
第1章:オノフリオ・パンヴィーノ――アレサンドロ・フェルネーゼ枢機卿時代の知識人
第2章:オノフリオ・パンヴィーノにおけるローマの古代
第3章:の模写と復元――パンヴィーノと3人の画家との共同作業
第4章:デュペラックの『Codex Orsini』の準備素描と建築プランにおける古代の表現
結論 パンヴィーノとデュペラックによる復元を、古遺物研究の歴史において重視する

第2部:建築プランと廃墟の風景版画(1565年−1578年こと)
第1章:エティエンヌ・デュペラックの版画家としての軌跡
第2章:ローマでのデュペラックの専門分野――祝祭儀式の光景と建築画
第3章:デュペラックによる廃墟風景版画

第3部:イタリアとフランスでの素描、油彩画、建築作品(1560年−1604年頃)
第1章:デュペラック――ローマの画家・建築家(1560年−1578年)
第2章:デュペラックの古遺物に基づく素描集(1575年頃)
第3章:フランスにおける建築家としての成功(1578−1604年)

結論

第2巻:版画作品カタログ 第3巻:素描作品カタログ

このデュペラックという「版画家・画家・建築家」は、やはり古遺物研究家であったピッロ・リゴーリオと、ほぼ同時代の人物。この博士論文の主眼は、これまでほとんど知られてこなかった作家について、実証研究に基づくモノグラフィーと作品カタログを構築し、隠されていたその重要性を見い出すというところにあるようだ。美術史の博士論文としては、ごくごくオーソドックスな路線だろう。

審査員は、パリ4のメロー、ギョーム、ミニョー、パリ1のシュナップ、EPHE(L'Ecole Pratique des Hautes Etudes)のホーホマン(ドイツ人?)、ハーヴァードのゼルネール(昨秋来日講演があった) 。

パリ4のサイトは、必要な情報を見つけ出しやすくてよい。パリ1は一見体裁が整っているのに、どこに何があるのかが分かりづらくて困る。