■Richard Etlin, « L’air dans l’urbanisme des Lumières », dans Dix-huitième Siècle, n°9, 1977 ; Le sain et le malsain, p. 123-134. doi : https://doi.org/10.3406/dhs.1977.1119
■Michel Foucault, Les Machines à guérir : aux origines de l'hôpital moderne, P. Mardaga, 1979.
■アラン・コルバン『においの歴史:嗅覚と社会的想像力』山田登世子・鹿島茂訳、藤原書店、1990年。
以下、『においの歴史』からメモ。
これ以降、「換気」ということが公衆衛生戦略の基軸となる。何にもまして制御しなければならないのは空気の流れである。気体性流動体の流れを確保することは、汚物を排除すること以上に、停滞と固定に対する恐怖と関連している。
(126ページ)
気体論の理論が啓蒙主義の建築に与えた影響はよく知られている。[…]計画の立案者の野心は、「建築の手段はすべて、空気を捕え、循環させ、排除するためにのみ用いる」ことだった。[…]リヨンの病院はこの点でモデルとなるものである。スフローは、楕円形の形態のおかげで空気が淀むことなく、すべて上のほうへと昇っていくような丸天井の部屋を考案する。
(131ページ)
拱廊の目的はこれ以後、建物の下部の換気を可能にし、瘴気の逆流を断ち切ることに変わる。柱廊は空気の入れ換えを確実に行ない、散歩者が空気の戯れに身をさらすことができるようにする。門と窓を大きく取り、向かい合うかたちで扉を部屋に取り付け(この方法はしばしば称賛された)、廊下を広くし、悪臭の導管になる塔や螺旋階段は廃絶するという方針は気体論的強迫観念の強まりを雄弁に物語っている。[…]こうして、一階を放棄して、二階に住むべしという主張が行われるようになっていく。
(131-132ページ)
・1713年:ゴージェ『火の力学』出版。室内で暖炉を中心に環流する空気流をコントロールすることで、暖房と換気を同時に行うことを提案。ゴージェが想定していたのは私的空間、とりわけ女性の部屋であり、空気の循環によって婦人病の治癒を試みるものだった。後世に重要文献となる。
・1736年:デザギュリエがゴージェとトゥラルの著作を英訳、さらに英国下院に換気装置を導入。1730年代後半にはヨーロッパ各地で相次いで換気装置が設計・導入される。
・1783年4月10日王令:空気の流れを妨害しないよう、通りの広さと建物の高さに関する規制が発令される。
・ルドゥーが『芸術、習俗、法制との関係の下に考察された建築』(1804年)で提示する「ショーの理想都市」に、モナ・オズーフは「気体論的な流れの影響」の体現を見てとる。
Cf. Mona Ozouf, "L'image de la ville chez Claide-Nicolas Ledoux," dans Annales E. S. G., novembre-décembre 1966, pp. 1273-1304. https://www.persee.fr/doc/ahess_0395-2649_1966_num_21_6_421483
ショーの町の家屋や公共建築物は「いっさい密着せずに一つ一つ独立している」。明白な機能性、建物同士の間隔の開き、それに左右対称性[…]などは、都市の健康状態を示す以外に、都市の構造が一目で読み取れ、しかも見る人にとって視覚的幸福感があるといった長所を作り出す。(コルバン、134ページ)