シャルル・フーリエ覚書

・1789年(フーリエ17歳)、初めてパリを訪れ、建築と都市計画への関心を掻き立てられる。道幅の広い大通り、気品に溢れる邸宅、とりわけパレ・ロワイヤル(「パレ・ド・フェ」)。

初めて統一的(unitaire)な建築を着想したのは、パリの大通りを歩いている途中のことである(1822年の回想)。彼はアンヴァリッド大通りの途中、アカシア通りとN. プリュメ通りの間にある、2軒の小さな家の素晴らしさに目をとめる。「私は時を経ずしてその規則を見極めるようになった」。

(ビーチャー『シャルル・フーリエ伝』59ページ。アントロポ版フーリエ全集第2巻「Sommaires」209ページに依拠とのこと。)

 

・「ルーアンとトロワの二都市の醜さが衝撃的だったために、われわれのののとはきわめて異なる都市の計画を私は構想したのである。この配置については後で説明しよう。[…]これこそは家庭秩序に改良をもたらし、しだに情念系列の計算の発明へ導くものである」。

(アントロポ版フーリエ全集第10巻(草稿1851)17ページ。)

 

・1789年末、「パリの大通り[ブールヴァール]を初めて歩きながら」、新しいタイプの「統一的建築」を構想しようと思いをめぐらせはじめる。

(ビーチャー、42ページ。アントロポ版フーリエ全集第2巻「Sommaires」209ページに依拠。)

 

1796年12月ボルドー市当局宛書簡

フランス全土旅行で、当時の街並みの単調さに衝撃を受ける。「新しいタイプの都市モデル」を構想。「大火災を予防し有毒な腐臭を消し去る」ことが可能とする。

(ビーチャー、56ページ。Archives Nationales 10AS 15 (18)に依拠とのこと)

そして、ボルドーこそモデル都市建設の場に相応しいと主張する(ビーチャー、60-61ページ)。