彼は机の前に坐つてゐた、
彼の夢想は甘やかに
ランプの光の輪の中に集まつてゐた、
彼は窓に来て突き当る
脆い吹雪の突貫をきいてゐた(シャルル・ヴィルドラック「訪問」堀口大學訳、『月下の一群』所収、上掲書82ページ)
夜、燈火の光、静かに思索に沈潜する時間。
夢想を呼び起すこの世にあるかぎりの物象のなかでも、焔は最大の映像作因のひとつである。焔は、われわれに想像することを強いる。焔の前で夢想しはじめる時、ひとが想像しているものから見れば、ひとが知覚しているものなどはなにものでもない。焔はその隠喩およびイマージュとしての価値を、このうえもなく多様な瞑想の領域にもっている。
輪郭のかすんだ壁に囲まれ、中央に向かって引き締められ、ランプに照らされたテーブルの前に坐っている瞑想者のまわりに濃縮されたようなひとつの部屋。[…]孤独な仕事の真の空間とは、小さな部屋のランプに照らし出された輪のなかなのだ。
(同上、149-150ページ。)
黄昏が忍び寄るテーブルの上で僕は書く。生きているかのようなその胸の上にペンを強く押し付けると、胸は呻き、自分が生まれた森を思い出す。黒インクはその大きな翼を広げる。ランプは砕け散り、割れたガラスがケープとなって僕の言葉を覆う。僕は鋭い光の破片で右手を切る。影が湧き出るその切り口で僕は書き続ける。夜が部屋に入り込む、真向かいの塀はその石の唇を突き出す、大きな空気の塊がペンと紙の間に割り込んでくる。ああ、単音節語がひとつだけあれば、十分世界を吹き飛ばせるのに。けれど、今夜は単語もうひとつ分の余地がない。
(オクタビオ・パス「詩人の仕事」、上掲書、26-27ページ。)
夜はその身体から時間を一つ、そしてもう一つ抜き出す。どれもが異なり、しかも厳かだ。葡萄、無花果、緩慢な暗黒の甘い雫。噴水、身体。廃墟の庭の石の間で、風がピアノを弾く。灯台は首を伸ばし、回転し、灯を消し、叫ぶ。一つの思考が曇らすガラス、柔らかさ、誘い、おお、夜よ、世界の中心で成長する樹から剥がれた、光り輝く広大な葉よ、
(パス「夜の散策」、上掲書、116ページ。)
「夜想」という言葉には、静謐でメランコリックな甘美さがある。