心変わり (岩波文庫)

心変わり (岩波文庫)

 

この『心変わり』という小説でまず注目されるのは、主人公を二人称「きみ」――フランス語では"vous"――で呼んでいることである。おそらく小説の歴史のうえではたぶん前例のすくない(ヴァレリーラルボーの小説にいくらか似たものがあるらしい)この人物呼称は、実際、ひとびとの注意を惹き、この作品が1957年度のルノードー賞を受けたとき大きく問題視されて、ちょうどフランス文壇ジャーナリズムでにぎやかになりかけた《ヌーボー・ロマン》論議のなかでひとつの中心となったほどである。

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ビュトールは受賞当時のあるインタヴュー記事のなかで、二人称呼称についてこう語っている。

 「物語がある人物の視点から語られることがぜひとも必要でした。その人物がある事態をしだいに意識してゆく過程が主題となるのですから、その人物は《わたし》と語ってはなりません。その作中人物そのひとの下部にある内的独白、一人称と三人称の中間の形式にある内的独白が、わたしに必要だった。この《きみ》という呼称のおかげで、わたしには、その人物の置かれている位置と、その人物の内部で言語が生まれてくるときの仕方のふたつを描くことが可能となるのです」(『フィガロ・リテレール』紙、1957年12月7日)

(訳者清水徹による解説、上掲書464-466ページ。)

 

語り手が主人公に二人称で語りかける小説の系譜として、ビュトール『心変わり』原著が1957年、ペレック『眠る男』(小説)は1967年。ペレックの方が10年も遅いのか。ロブ=グリエ脚本の『去年マリエンバードで』も、男性が女性に向かって「あなた(vous)」と語りかけるナレーションが延々と続くが、こちらは映画作品の公開が1961年(脚本はもっと前から用意されていたはず)。ただしこれは厳密には「語り手が二人称を用いる」ものではない。

日本語で書かれた小説で、語りが二人称のものはあるのだろうか? 「あなた」や「君」は基本的に翻訳語で、日常会話では滅多に用いられないから(「〇〇ちゃん」だとか「先生」だとか、三人称的な呼称を二人称に流用するのが普通だろう)、かなり不自然な文章にならざるを得ないと思うが。