東京都現代美術館で開催中の「トランスフォーメーション」展に行ってきた。他なる存在への生成変化、というコンセプト自体は既に頻出ではあるが、身体の内と外、男性と女性、動物と人間、モノと人体との「間」、その「往還」や「融合」について考えを進めるきっかけとなりそうなものがたくさんあった。
小谷元彦の《僕がお医者さんに行くとき》は、人間の身体が不気味で不穏なものと化す契機の一つが、皮膚の滑らかさ、静穏さ、均質性が損なわれたときである、ということを実感させてくれる。皮膚が崩れる病(麦角中毒、ペスト、梅毒、ハンセン氏病エイズがもたらす肉腫など)は古来より差別の対象となってきたし、例えば「グロ」として一時期有名だった「蓮画像」なども、一種皮膚病的なイメージである。
スプツニ子!の《生理マシーン、タカシの場合。》には、虚を衝かれた。男性身体の持ち主が「女に成る」というと、誰でも思いつくのはトランスヴェスティズムだろうが、これは血糊入りパックを内蔵した貞操帯によって、男性にも月経を疑似体験させるという発想。妊娠・出産ならともかく、月経というのが斬新で衝撃的である。毎月やってくる、病気や異常というほどでもない変化が、見えない「束縛」として身体の自由を奪ってしまう――生理マシーンがサイバー風のデザインの貞操帯だというのも気が利いていると思う。
二階にあった展示(様々な民族の「祝祭用の仮装」から、アニメ・漫画・映画等の中の怪人・超人やゾンビ、ゴースト、怪物まで、「人間と別種のものとの《間》」に位置するイメージを集めたもの)も、なかなか面白かった。フランスでもhomme-animalと題された、「人間と動物のトランスフォーム」がテーマの展覧会があったが、都現美の方はサブカルチャー、マスカルチャーにいたるまで目配りが利いている。
展示の目玉である『クレマスター』は、時間の関係ですべては見られなかったのだが、「破壊・粉砕される口蓋」のテーマが反復される点が気になった。(個人的には、第一次大戦の負傷兵士を連想してしまう。)マシュー・バーニー自身のオブセッションなのだろうか。
全体的に映像作品が多く、すべてをじっくり鑑賞しようと思えば、半日は優に掛かるだろう。時間に余裕を持って出掛けるのがお勧め。