Copy Cat

ディジョンでお世話になっている方に教えて頂いた話題。要はフラマリオンから刊行された「名作を粗筋で読む」シリーズのモンターニュ『エセー』が、仏語オリジナルからの要約ではなく、日本語による抄訳を更に仏訳したものだということ。
http://editions.flammarion.com/Albums_Detail.cfm?ID=34615&levelCode=home

De l'expérience, et Sur des vers de Virgile, deux textes extraits du livre III des«Essais», traduits de l'ancien français en japonais au XXe siècle, ont été retraduits en français moderne. Ce détour par une traduction étrangère permet de rendre Montaigne plus accessible.

それで連想したのが、今世紀に入ってからやたら欧州で流行っているらしいVisual-kei。そもそもの源泉は70〜80年代のイギリスの音楽シーンなのに、イマドキの若者にとっては「coolな日本のサブカルチャー」であるらしい。本来は自分の傍に存在する「元祖」を忘れて、日本という極東の国に依拠している、その捩じれた翻訳関係(?)が、(まだまだ欧米崇拝だった頃の日本も知っている世代の)日本人としては面白い。
        
左からPete Burns(Dead or Alive, GB, 80s), 遠藤遼一(Soft Ballet, JP, 90s), HAKUEI(Penicillin, JP, 90s-), Hyde(L'arc en ciel, JP, 90s-), Bill Kaulitz(Tokio Hotel, DE, 00s-)。こうやって並べてみると皆さん国籍不明。ちなみに、HAKUEI(左から3番目)の写真は、2007年にJapan Expoに出演したときのものだそう(彼の黒い眼帯を着けるスタイルは、既に90年代からお馴染みのものだけれど、画像検索では出てこなかった)。これを見て「なんだ、ピート・バーンズの真似じゃないか」と思う人は……そんな世代はJapan Expoには参加していないか。
個人的な趣味判断で申し訳ないけれど、Soft Balletは好きだけどPenicillinやL'arc en cielに対してはそれほど肯定的になれないというのが本音。現代の先進国で男性がこの手の格好をするというのは、(いくら芸能人とは言え)やはり「異端」であって、だからこそ「傾き者」として生きることへの葛藤と覚悟とか、社会で当たり前とされている諸々の「制度」への懐疑と反抗とか、そういうものの片鱗を感じさせてくれないと……「ヴィジュアル系なら当たる」という風潮以降に出てきた人たちには、その辺りの抑圧が希薄な気がして、今ひとつ感情移入できないのだ。真摯に彼らの曲を聴いたり、インタビュー記事を読んだりしてきたわけではないから、あくまで勝手な印象論でしかないけれど。
話をモンテーニュに戻すと、日本の仏文研究は、現代のフランスにおける「国文学者」が常に目配りし、時には依拠することすら厭わないレベルに到達しているということだろうか。
ちなみに、分かったようなことを書いているけれど、Dead or Aliveの存在を知ったのは4日前です。