L'invenzione dei Fori Imperiali, Musei Capitolini (Roma)


8月2日、ローマ旅行の最終日に訪れたカピトリーニ美術館では、「L'invenzione dei Fori Imperiali, demolizioni e scavi : 1924-1940(フォリ・インペリアーリの発明、破壊と発掘:1924年〜1940年)」と題された企画展が開催されていた。考古学や古代の「再生」に絡み付いた政治的な力学や、発掘という作業が都市に同時にもたらす蘇生と破壊といったものが浮き彫りになっていて、面白い展示だった。
http://www.museicapitolini.org/mostre_ed_eventi/mostre/l_invenzione_dei_fori_imperali
フォリ・インペリアーリとはフォロ・ロマーノの北東に位置する遺跡群。カエサルアウグストゥス古代ローマ歴代皇帝が築いたフォロ(フォーラム)の集積である。
展示されていたのは、発掘作業が進む当時の遺跡付近の街並を描写した風景画や写真、それから発掘現場の写真、取り壊された建築物に付随していた美術品といったもの。
ルネサンス以降の平穏な街並が破壊され、地面に開いた巨大な穴からは古代の遺構が姿を現す。現在、観光名所として見ることのできる遺跡は、既に破壊された(完了形)、もはや静止した構築物だが、ここに展示されている写真に写されているのは、現在進行形の都市の破壊作業である。地中の遺跡が姿を現し、当時の姿を取り戻していくのと同時に、当時の都市環境は倒壊させられて消滅していく。「古代帝国の栄光」という古層に眠る記憶の想起のために、ルネサンスからファシズム以前までの記憶の蓄積は破壊され、抹消されるのだ。ひとつの想起とひとつの忘却が背中合わせとなっている。
当時の発掘現場の写真を見ていると、ローマ遺跡というのは「下部構造」なのだと実感する。下へ下へと向かう世界というか。そう言えばピラネージの興味も、ローマ遺跡の中でもとりわけ水道橋の橋脚や、道路の舗装、柱の基礎部分といった、都市や建築の下部構造にある。
以下は展覧会入口パネルの訳出。

イタリア王国の首都となってから数十年が経った1870年には、ローマの数百年の歴史を持つ都市構造は大きく変貌していた。1920〜30年代には「総統(Governatorato=ムッソリーニ)」主導の計画が遂行され、古代ローマ遺跡の発掘を目的として、都市の破壊と発掘が組織的に行われた。古代ローマの後継者を自認していた当時の政権は、その栄光の復興を望んだのである。1924年から1940年にかけて、アウグストゥス帝、トラヤヌス帝、カエサル、ネルヴァのフォロの遺構が掘り返され、個々の遺構を結びつけるように「皇帝通り(via dell'Impero)」と呼ばれる新道路が作られた。このような作業は、ルネサンス期に形成されたアレッサンドリーノ地区の破壊をもたらした。
マリオ・マファイの絵画『トラヤヌス帝のフォロの家並み』からは、この都市景観の取り返しのつかない改変作業に対する、当時の知識人や芸術家たちに共有されていた失望を見て取ることができる。
このアイデンティティ喪失という感覚は――19世紀後半には既に、発掘作業に対する一般的な反応として認識され、公的に共有された感覚だった――様々な出自の芸術家たちに、失われた場所の「芸術的イメージ」製作を発注することで、いくぶん和らげられたかのようである。
ローマ市街に散在していた場所を挿話的かつ情熱的に描きだしたものとして、当時高い評価を得たこれらの作品は、「総統」によって買い上げられ、1930年開館のローマ国立美術館に寄贈された。
このコレクションには、当時行われた保存活動に由来する絵画と写真が、現在では700枚以上含まれている。これらの驚くべきイメージは、この都市大改造に対する当時の文化的視点を示す記録資料である。
考古学調査による発掘品は、当時は種類と質によって峻別され、一部はカピトリーニ美術館に収蔵され、一部は発掘された歴史的遺構にそのまま留め置かれた。他方で、取り壊された建物から保存された絵画や彫像の断片は、そのほとんどがローマ国立美術館に収められることとなった。上記のコレクションには、これらの遺物も含まれている。