昔書いたメモ書き

ヨーロッパに共通の起源としてのギリシア・ローマ(=古典古代)→インターナショナル・スタイルとしての新古典主義へ(パッラーディオ様式、イギリス、フランス、アメリカ)
←→自民族の起源としてのゴシック→フランス、イギリスでのゴシックリバイバル。ある種のナショナリズム
・イギリスでの「ゴシック神話」:名誉革命(1688)で親カトリック専制君主を追放する際に広まる。中世イギリスの封建制を政治的理想とするもの。18世紀には国民的神話となる。
ここでいう「ゴシック」は、まだ厳密な時代区分ないし様式概念ではない。
ノルマン・コンクェスト(1066)以前のサクソン人の王による時代、特にアルフレッド大王(在位871−899、大法典を編纂)の時代。
この時期には、王と貴族との対等な合議制が確立されていたという「神話」。
このような一種の「建国神話」の背景には、フランスの侵略に対する反発があった。(ノルマンディー出身の征服者ウィリアム、ルイ14世と結託したジェームズ2世の排除)
このような、ゴート人≒サクソン人≒ゲルマン民族とする「ゴシック神話」と同時期(名誉革命以降)には、イギリスの政治形態を「新たなローマ」と見做す言説も流布した。パッラーディオ様式の復権は、このような「ローマ神話」を背景にしている。

なぜ政治的正統性を担保するものとしての「起源」≒「理想的な過去の状態」が、「建築」という形態(芸術ジャンル、空間イメージ)において現れ出るのか?

その中での、ピラネージ、あるいはルクーらの位置づけは?

起源としての純粋さを担保された「古代」「自然(≒原始)」「幾何学的形態」。
ピラネージは「古代」に掛けたが、ロージェらは「自然」に、またブレなどは「幾何学的単純性」(例:球体)に純粋さや歴史の理論的・想像的な開始点を見出す。
c.f.ラファエッロ:円を自然の諸形態の本質と見做す。

・論者によって「自然」概念が異なることに注意!
ロージェの「自然」:普遍的に妥当する合理的かつ単一の原理としての「自然」
ルネサンス時代(esp.ラファエッロ)の理性主義的「自然」
←→アレクサンダー・ポープによる「多様性の統一」としての自然
古代ギリシアの詩人ホメロス叙事詩イリアス』『オデュッセイア』を英訳してゆくうちに、ピュタゴラスプラトンの軽視した秩序・調和・規範を破る混沌(ルビ:カオス)としての自然を発見し、ポウプの自然観は重層化してゆく。統一性の中の多様性を語るようになるのだ。」(酒井健『ゴシックとは何か――大聖堂の精神史』ちくま学芸文庫、2006年、197ページ。)
 「統一性の中の多様性」と言う概念は、他にも多くの芸術的営為に当てはまってしまうのでは?
 あるいは、このような概念が定立された系譜は?

どのような政治的要請により「召還」されたものだったのか?(文化的側面からの研究は既にあり。)
イタリアの政治的弛緩、教皇庁の権力衰退(古代ローマ皇帝の再来としての教皇復権を目指す?)、フランス革命思想との関連(中央集権思想との親和性、啓蒙主義による理性主義との親和性→どちらかというとギリシア派)。
教皇権とローマ:「レオ10世はいわば政治と文化の両面から古代ローマの刷新者たらんとしていた。彼の野心は、政治の面では、教皇でありながら古代ローマ皇帝の再来となって聖俗両方のイタリアの支配者になること、文化の面では、古代都市ローマを復興させつつそれを凌ぐ大建築物を造営することにあった。」(酒井健『ゴシックとは何か』ちくま学芸文庫、2006年、155ページ。)
 レオ10世はローマ古代遺物総監督にラファエッロを任命。ラファエッロは壮大な建築書の刊行を企てた。それはウィトルウィウスの『建築十全』翻訳註解から、建築遺構の調査報告、建築遺構群の景観図制作、市区ごとの地誌、古代建築の応用と発展のための理論までを含むものであった。(c.f.小佐野重利のラファエッロ建築についての著作)
ギボンにより語られるローマ。
イギリスのローマ派の新古典主義建築家たち、グランド・ツアリストたちのローマ(=ピラネージのパトロンや受容者たちが望んだローマ)と、ピラネージ自身のローマとの間に違いはあるのか?

ピラネージのフランスにおけるフォロワーたち(ローマのフランス・アカデミーの画家たち)によるローマとピラネージによるローマとの異同関係。
仮説:政治的テーゼとしてのローマか、ノスタルジーサブライムを喚起する美的対象としてのローマか?

ピラネージによる図像がもつ、collage、montage、assemblage、accumulation、amalgameといった性質(混濁した、あるいは原初より汚染されているものとしての起源)→どのような古代観をベースにしているのか?(先行研究あり、これまでの研究でも扱ってきた)
→似たような作業との相違点は何か?(ジョン・ソーン、ホラス・ウォルポール、あるいはルクーら)
→どのような時間感覚をベースにしているのか?
ウォルポール:1753年以降、イギリス各地のゴシック建築を実地踏査「彼はイギリス各地のゴシック建築の要所を模写し自邸に再現していたった。再現された建築要素の形態は正確だったが、二つの点でこの模倣は不忠実だった。一点は、彼が過去の作例を、その用途を無視して、自邸に引用したことである。ゴシック大聖堂内の偉人の廟、墓碑は彼の館ではことごとく暖炉へ変えられ、消失前のセント・ポール大聖堂の薔薇窓のデザインは円形応接間の天井へ、樹木の繁みを思わせるウェストミンスター寺院のヘンリー7世礼拝堂のアーチ模様は通廊(ルビ:ギャラリー)の天井の装飾へ応用された。もう一点は、自然石、漆喰といった過去の作例の素材を無視したことである。室内の壁が装飾にはボール紙や画布(ルビ:キャンバス)、紙粘土が用いられ、屋外には細工のしやすい人造石が使われた。」(酒井健『ゴシックとは何か』ちくま学芸文庫、2006年、217ページ。)

☆ラファエッロとピラネージ
ローマ皇帝の再来たろうとしたレオ10世のもと、芸術面での指揮監督に携わったラファエッロ。
『建築書』というイマジネールな次元で、ローマ建築・都市の復興と模倣を目指す。

☆ホラス・ウォルポールとピラネージ
☆ジョン・ソーンとピラネージ
☆J.J.ルクーとピラネージ