西洋との対話

和辻哲郎の『イタリア古寺巡礼』(岩波文庫版)で使われている図版の一部が、矢代幸雄の『サンドロ・ボッティチェルリ』からのものだった。もちろん許可は取ってあるのだろうけれど。あとがきで高階秀爾氏も述べているように、和辻のボッティチェッリの分析は相当矢代からの影響を受けている。妻宛ての書簡には、1925年に刊行された矢代のボッティチェッリ論への言及もあるとか。

反対に矢代は参照元をあまり明らかにしないタイプなので、影響関係の見極めが難しい。

法学者の長尾龍一が著作で紹介している笑い噺に、「イギリス人、フランス人、ドイツ人、日本人の各々に『象について』という題で論文を書かせたら」というのがある。「イギリス人とフランス人はさっそく動物園に出掛けて、象を毎日観察した。その後、イギリス人は『象飼育の経済的効用について』、フランス人は『象の恋愛行動について』という論文を書いた。ドイツ人は図書館に出掛けて文献を遍く調べ、『象の概念について』という論文を書いた。日本人も図書館に出掛けて文献を遍く調べ、『ドイツにおける象概念の歴史について』という論文を書いた。」という、国民性の紋切り型を並べたもの(立ち読みした記憶で書いているので、細部は少し違っているかもしれない)。今日ではいくぶん陳腐に思える小噺だが、矢代と同世代の芸術学者の多くは実際に『ドイツにおける象概念の歴史について』的な論文を書いているのだから、そうそう小馬鹿にもできない。英文畑に蒔かれて、外来の権威的概念や言説にはほとんど頼らずに記述を行ったという点で、矢代は当時の人文系知識人の中では特異な存在だったのかもしれない。