夜更けの遊歩

「危険な散歩」 萩原朔太郎

春になって、

おれは新しい靴のうらにごむをつけた、

どんな粗製の歩道をあるいても、

あのいやらしい音がしないやうに、

それにおれはどつさり壊れものをかかへこんでる、

それがなによりけんのんだ。

さあ、そろそろ歩きはじめた、

みんなそつとしてくれ、

そつとしてくれ、

おれは心配で心配でたまらない、

たとへどんなことがあつても、

おれの歪んだ足つきだけは見ないでおくれ。

おれはぜつたいぜつめいだ、

おれは病気の風船のりみたいに、

いつも憔悴した方角で、

ふらふらふらふらあるいてゐるのだ。

『月に吠える』(大正6年/1917年刊行)収録

底本:三好達治選 『萩原朔太郎詩集』岩波文庫、1952=2000、pp112〓113.

「群集の中を求めて歩く」 萩原朔太郎

私はいつも都会をもとめる

都会のにぎやかな群衆の中に居ることをもとめる

群集はおほきな感情をもつた浪のやうなものだ

どこへでも流れてゆくひとつのさかんな意志と愛欲とのぐるうぷだ

ああ ものがなしき春のたそがれどき

都会の入り混みたる建築と建築との日影をもとめ

おほきな群集の中にもまれてゆくのはどんなに楽しいことか

みよこの群集のながれてゆくありさまを

ひとつの浪はひとつの浪の上にかさなり

浪はかずかぎりなき日影をつくり 日影はゆるぎつつひろがりすすむ

人のひとりひとりにもつ憂ひと悲しみと みなそこの日影に消えてあとかたもない

ああ なんといふやすらかな心で 私はこの道をも歩いて行くことか

ああ このおほいなる愛と無心のたのしき日影

たのしき浪のあなたにつれられて行く心もちは涙ぐましくなるやうだ。

うらがなしい春の日のたそがれどき

このひとびとの群は 建築と建築との軒をおよいで

どこへどうしてながれ行かうとするのか

私のかなしい憂鬱をつつんでゐる ひとつのおほきな地上の日影

ただよふ無心の浪のながれ

ああ どこまでも どこまでも この群集の浪の中をもまれて行きたい

浪の行方は地上にけむる

ひとつの ただひとつの「方角」ばかりさしてながれ行かうよ。

『青猫』(大正12年/1923年刊行)収録

底本:三好達治選 『萩原朔太郎詩集』岩波文庫、1952=2000、pp202-203.

「海鳥」 萩原朔太郎

ある夜ふけの遠い空に

洋燈のあかり白白ともれてくるやうにしる

かなしくなりて家家の乾場をめぐり

あるひは海岸にうろつき行き

くらい夜浪のよびあげる響をきてる。

しとしととふる雨にぬれて

さびしい心臓は口をひらいた

ああ かの海鳥はどこへ行つたか。

運命の暗い月夜を翔けさり

夜浪によごれた腐肉をついばみ泣きゐたりしが

ああ遠く飛翔し去つてかへらず。

『蝶を夢む』(大正12年/1923年刊行)収録

底本:三好達治選 『萩原朔太郎詩集』岩波文庫、1952=2000、pp325-326.

「過古」 梶井基次郎

 ある夜、彼は散歩に出た。そして何時の間にか知らない路を踏み迷っていた。それは道も灯もない大きな暗闇であった。探りながら歩いてゆく足が時どき凹みへ踏み落ちた。それは泣きたくなる瞬間であった。そして寒さは衣服に染み入ってしまった。

 時刻は非常に晩くなったようでもあり、またそんなでもないように思えた。路を何処から間違ったのかもはっきりしなかった。頭はまるで空虚であった。ただ、寒さだけを覚えた。[・・・]

 突然烈しい音響が野の端から起こった。

 華ばなしい光の列が彼の眼の前を過って行った。光の波は土を匍って彼の足もとまで押し寄せた。

 汽鑵車の烟は火になっていた。反射を受けた火夫が赤く動いていた。

 客車。食堂車。寝台車。光と熱と歓語で充たされた列車。

 激しい車輪の響きが彼の身体に戦慄を伝えた。それははじめ荒々しく彼をやっつけたが、遂には得体のしれない感情を呼び起こした。涙が流れ出た。

 響きは遂に消えてしまった。そのままの普段着で両親の家へ、急行へ乗って、と彼は涙の中に決心していた。



大正14年/1925年刊行)

底本:『檸檬新潮文庫、1967=2000、pp95-96.