モダニズム時代の映画をめぐる言説:映画という機械/映画の中の機械
1920年代から30年代にかけては、「文学と映画のパラゴーネ」ともいうべき議論(より正確に言うと、文学に不可能なものを映画という新たな芸術がもたらした、という旨の記述)が出てくる。川端康成「文芸時評」1929年や、伊藤整「新しき小説の心理的方法」1931年などがその代表例だろう。以下は「モダニズム」と呼ばれる時代の文学者たちによる「映画論」から、特徴的な部分を抜粋したもの。
私は活動写真を見ていると恐ろしくなります。あれは阿片喫煙者の夢です。(132ページ)
スクリーンに充満した、私のそれと比べては、千倍もある大きな顔が、私の方を見てニヤリと笑います。あれが若し、自分自身の顔であったなら! 映画俳優というものは、よくも発狂しないでいられたものです。あなたは、自分の顔を凹面鏡に写して見たことがありますか。[…]凹面鏡は怖いと思います。映画俳優というものは、絶えずこの凹面鏡を覗いていなければなりません。本当に発狂しないのが不思議です。(132ページ)
翌年に発表された彼の短篇「鏡地獄」(初出『大衆文芸』 1926年10月号)は、「鏡」という古典的なモティーフについての変奏という以上に、むしろここで語られている「映画における像の拡大とクロース・アップの恐怖」という視覚経験と結びついたものなのではないか。
映写中に、機械の故障で、突然フィルムの回転が止まることがあります。今までスクリーンの上に生きていた巨人たちが、ハッと化石化します。瞬間に死滅します。生きた人間が突如人形に変わって了うのです。私は、活動写真を見物していて、それに逢うと、いきなり席から立って逃げ出したい様なショックを感じます。生物が突然死物に変わるというのは、可也恐ろしいことです。(133ページ)
甚だ現実的なことを云う様ですが、この恐怖には、もう一つの理由があります。それはフィルムが非常に燃え易い物質で出来ている点です。そうして回転が止まっている間に、レンズの焦点から火を発して、フィルム全体が燃え上がり、劇場の大火を醸した例は屢々聞く所です。[…]スクリーンの上で、映画の燃え出すのを見る程、物凄いものはありません。[…]色彩のない、光と影の映画の表面に、ポッツリと赤いものが現れ、それが人の姿を蝕んで行く、一種異様の凄みです。(133-134ページ)
この部分では、フィルムの発火によって、映画におけるイメージがその物質性に侵蝕されてゆくことへの恐怖が語られている。
あなたは又、高速度撮影の映画に、一種の凄みを感じませんか。我々とはまったく時間の違う世界、現実では絶対に見ることの出来ぬ不思議です。(134ページ)
スローモーション撮影が可能とした、ベンヤミンならば「視覚における無意識的なもの」とでも語るであろう映像に、乱歩は「凄味」「えたいの知れぬ凄さ」「恐怖」を見出すのである。
上に引用した部分の後にも、赤と青のセルロイドを貼った眼鏡を掛けて見る、原始的な3D映像(「飛び出し写真」)の悪夢めいた恐怖や、フィルム保護のために両端に巻かれた不要なネガフィルムが事故的にスクリーンに映り込んだときの恐怖について語られている。このエッセイを通して読むと、乱歩の言う「映画の恐怖」とは、映画のストーリーや演出された視覚効果によってもたらされるものではなく、むしろ映画というメディウムやテクノロジーそれ自体に内在している性質によるものだと分かる。ちなみに、この「映画の恐怖」が掲載された『婦人公論』1925年10月号は、明治時代の「千里眼事件」を始めとして、いわゆる(現代の言葉でいうところの)オカルトものについての記事が多い。
ちなみにこの乱歩のエッセイと同年の1925年、内田百輭は「旅順入場式」において、記録映画(当時の言葉で「活動写真」)の映像を亡霊の行進じみたものとして描写している。
映画と文学の「表現形式」に着目し、文学においては不可能な表現が映画において可能となっていることを認めた上で、「文学の形式の特質を、今少しく反省してみること」(201ページ)の必要性を説く。導入部分で川端が絶賛する日本映画が、片岡鐵兵原作、内田吐夢監督『生ける人形』(日活映画、1929年)である。
平凡なことではなるが、近頃の外国映画には、動く機械の美が新鮮に表現されていることを、実にしばしば見る。「生ける人形」にもこれがある。近代工業的の機械は、映画によって初めて、芸術としての表現を得た。それは文学では、表現が殆ど絶対に不可能な、新しい美感の創造である。[…]この機械や群衆の表現だけでも、映画は確かに文学よりは近代的な芸術である。(201ページ)
- 板垣鷹穂「機械と芸術との交流」1929年
(初出は『思想』1929(昭和4)年9月号、同年に岩波書店より単行本化)
建築も機械もあまりに古すぎるラングの「メトロポリス」は別問題として、ルットマンの「ベルリン」、フェヨスの「哀愁」、ステルンベルヒの「救いを求むる人々」などは、機械の描写に優れた映画であった。特にベルリンは、高速度輪転機や自動グラス球製造機の潑溂たる運動に、機械の魅力を遺憾なく芸術化している。絵画は――その表現形式が何処まで変るとしても――機械の機能を描写することが出来ない。けれども映画は――滑らかな鉄の肌に敏感である上に――機能の描写に充分その性能を発揮することが出来る。「ベルリン」のごとく純粋映画的な作品が――資本家の手に握られつつある映画の現状として――何処まで普及し得るかは疑問である。然し少なくとも、「哀愁」のようにストーリーの環境的背景を描写する手段として、機械の描写は今後益々その使用範囲を拡大して行くであろう。同様に、巨大な工作建造物の描写も、適当に選ばれた視角度と構図とを使った新しい撮影法によって、そのモニュメンタルな性格を何処までも大胆に表現し得るであろう。かくて機械の魅力は、その合理的な機能と全然無関係に、唯だ視覚にうったえる美しさとして享受されて行く。映画は、機械の美しさをまだ感知していない多くの現代人の眼を、この新しい魅力に向けて充分に教育するであろう。様々な工場の内外、発電所、変圧所、高圧線支柱、信号塔、ラディオ柱、起重機、橋梁、停車場、格納庫、倉庫、軍艦、汽船、電車、汽車、自動車、飛行機――此処に新しい美の宝庫がある。中でも「現代」と云う一つの時代に――種々の意味から――最も性格的な代表者は軍艦である。
(板垣鷹穂「機械と芸術との交流」、海野弘編『モダン都市文学VI 機械のメトロポリス』平凡社、1990年、460-461ページ。)
- 作者: 海野弘
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映画が絵画などに比べてより機械(ないしテクノロジー)に立脚した芸術である、という意味ではなく、ここでは映画は静止している絵画によりも、巨大かつ運動する「機械」の描写に優れた表現形式であることが語られている。
建築と等しく、機械の進歩によって表現形式を決定される芸術は映画である。疾走する馬の足の運動すらかつては明瞭に解っていなかった。時間の極めて短かい撮影が可能になってから、馬の絵に虚偽がなくなった。顕微鏡写真、望遠写真、高速度映画などに、肉眼の限定された能力が補われた。然し、写真の新しい表現法は、物象を視る方法そのものを革新させた。モホリ・ナギの言葉を使えば、「吾々は今や完全に新しい眼を以って世界をみるのだ」と云って差支えない。現在ではあまりに常規的なクローズ・アップの使用がグリフィスの創意になることを知る丈でも、映画技法の進歩の急激さは感じられる。カメラと云う一個の機械が、人間の肉眼以上に鋭い感覚と主観性とを持っていることは、誰も信じて疑わない。ヴェルトフの「撮影機を持つ男」に於いて、世界が如何に新しい眼で観察されたか?――これを想像する丈でも、映画の表現形式と撮影技術との間の関係の密接さは偲ばれよう。
(同上、466ページ。)
ここでは、(動画撮影の)カメラという機械装置によって新たな視覚がもたらされた、という意味での映画の機械性が説かれている。板垣はここで、映画における視覚的な表現形式とテクノロジーが密接な関係を持つことを見抜いている。
映画の優秀な機械力による目覚ましき発展は、話すことによって我々が伝え合うことの出来ぬ現代文明の神秘ですらある文化形態を限りなく我々の眼に展開した。そして[文学の]芸術としての魅力は今や去って映画にあるの観をすら呈した。[…]そしてそれは確かにレイディオフォン、グラモフォンと共に我々の芸術を新にする程の驚異であった。(38ページ)