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思考の屑篭――フーリエの都市構想と労働観
ルドゥより一世代若いフーリエがそのユートピア構想に着手するのは、『建築論』の刊行より後のことである。1805-08年頃には理想的共同体についての叙述を始め、1817年以降は性的解放の果たされた社会を構想するようになる。概してフーリエは、革命から30年が経過した後にも、革命期の政治モデルを仮想論敵としていた。この意味では、ルドゥの思想的な同時代人と位置づけても的外れではないだろう。
フーリエにとっての労働は、「情念」を実現する手段、つまり人間の最深部にある欲求の充足や、人間の力の十全な発現のための方法であった。そこでは、疲労のコントロールを通じた効率性の確保といった、「近代的」な発想が登場する。また「教育」に関しては、従来的な文明社会下での教育を、「情念」や子供の能力を抑圧するものとして批判する。彼の構想する理想的コミューン「ファランジュ」は、根本的に新しい教育体系を含まない限りユートピアたりえないと考える。また、教育制度における共同性(共産主義の徹底)を唱えた。