memorunda

☆ルドゥとフリーメイソンについて

ルドゥー「建築論」註解〈2〉

ルドゥー「建築論」註解〈2〉

上掲書第II巻87ページ、白井秀和氏による本文訳註12より。
・製塩工場の監督官邸第一案(1775年)には、クロード・ペローやフィッシャー・フォン・エルラッハによる「ソロモン神殿の復元図」との共通点がある。また、内部の礼拝堂はプローポーションも装飾もフリーメイソンのロッジの理想型の反映である。実際にルドゥは、ピエール・ポンセ設計のグラン・トリアノン会のロッジ(1772-73年)を見物おり、この影響を受けたのであろう。(以上はAnthony Vidler, Claude-Nicolas Ledoux: Architecture and Social Reform…, 1990, p. 117.)
・1773年のグラン・トリアノン会創設時には、ルドゥのコミッショナー(施工主)であるモンテスキュー、オードリー、ルドゥの友人ドリール神父、またユベール・ロベールやド・ヴァイイ、ブロンニャールらも会員であった。ルドゥの名前は、この会の名簿(1773年〜革命時まで)には記載されていないが、1784年までは非メイソン的なロッジの会員であった。(同上)
・ジェームズ・スティーヴンス・カールによれば、ルドゥはカリオストロ伯爵の主催した異端派のフリーメイソン団体に関与しており(James Stevens Curl, The Egyptian Revival, London, 1982, p. 95)、また神秘主義者の連合団体の一員であった(Id., The Art and Architecture of Freemasonry, London, 1991, p. 120)。


☆至高の建築家としての神

最高存在(l'Être suprême):le Suprême Architecteとも表現され、至上者、すなわち神を指す。フランス革命時、ロベスピエールによって最高存在の祭典(Fête de l'Être suprême)が執り行なわれたが(1794年6月8日)、これは、カトリックの神に代わる理神論的な崇拝対象としての最高存在を称える祝祭であった。こうした意味をルドゥーは踏襲しているものと考えられる。
(上掲書、90ページ、本文訳註57)