Qui suis-je?

田亀氏の名前が出てきたからついでに、というわけでもないのだけれど、山川純一作品の登場人物たちはどうしてあそこまで「名前を名乗る」のだろう。短編ポルノグラフィーなのだから、登場人物の名前など極論してしまえばAとBでも、いっそ最後まで分からぬままでも物語に影響はないであろうに、わざわざ冒頭でフルネームを名乗る。これから侍同士の果たし合いでも始めるつもりなのか、というくらい名乗る。それもやけに現実的で平凡な、全国に同姓同名が何人もいそうな名前。あれはいったい何なのだろう。最終的な欲望充足が先延ばしされたまま、物語が突然中断されてしまう作品が目につくのも、ポルノグラフィーとしては異色、というか完全なる破綻や逸脱なのではないだろうか。(と語れてしまうほどポルノに詳しいわけでもないのだが。いやむしろ全くの無知だが。)巷の流行に遅れること5年、最近ようやく作品群のほぼ全てを知って、非常に衝撃を受けたので。