始まりと復古

  • André Lacocque & Paul Ricoeur, Penser la Bible, Paris: Seuil, 1998.

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この論集に収められているリクールの論考「Penser la Création」は、聖書や神学というテーマを離れて、「起源l'origine」とその「連続性continuité」についての考察に示唆を与えてくれる。
「起源」が問題となるのは、そこにおいて開始されたものを継承する(と信じる)者たちが存在するからであり、そこでは「起源」という記憶不可能な過去と末裔たちの生きる現在とが、連続的なものとして捉えられている(ローマ、エトルリア、あるいはエジプトの建築と18世紀のイタリア、あるいは古代ギリシアと18世紀の西欧)。この連続性ゆえに、末裔の正統性は「起源」によって担保されるのである。
しかしまた、「起源」なるものが召還されるのは、直前の過去に対する否定が働いたときでもあるのではないか。凋落や暗黒の時代の後だからこそ、現在に対する規範、もしくは改革理念として「起源」が持ち出されてくるのではないだろうか。

  • James Stevens Curl, Egyptomania: The Egyptian Revival as a Recurring Theme in the History of Taste, Manchester University Press, 1994.

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西欧の芸術史の中で反復的に現れ出てくる「エジプトブーム」を、通史的に分析したもの。サブタイトル「趣味の歴史において反復的に現れるテーマとしてのエジプト復興」は、この本の要点を端的に示している。

ピラネージは古代ローマ建築の優越を保証する根拠として、エジプト発祥の石造建築を(エトルリア経由で)承継したことを挙げるが、このような受容・継承関係とはまた別の次元で、既に帝政ローマ時代にはエジプト的形象は流行のモティーフであった。

上の写真はピラミデ。紀元前1世紀末に作られた、ローマの平民行政官・法務官であったガイウス・ケティウスの墓である。皇帝の偉業を表したモニュメントではないが、ピラネージお気入りのモティーフもあった。ピラネージの版画では、近くのサン・パオロ門の3倍はある巨大で壮麗な姿で描かれているが、実際には高さ27mほどだそうで、意外と小さいという印象だ。サン・パオロ門の方がよほど大きい。この添景人物や傍の建造物を極端に小さくすることで、描画主題たるモニュメントを壮大に見せるのは、ピラネージお馴染みの手法である。

これは、ヴァティカン宮殿内にあり、博物館の一部として公開されているサッラ・デイ・パピーリ(パピルスの間)の天井装飾。内装デザインを手掛けたのは、フランス新古典主義絵画の担い手であり、ヴィンケルマンの友人としても知られる画家、アントン・ラファエル・メングスだ。マニエリスム以来の伝統を引く騙し絵的な手法で、スフィンクスやファラオ風のカリアティッドが描かれている。
    
  
これもヴァティカンにある教皇のコレクション。エジプト的な形象とローマ的なものが融合を見せる。上段の写真はハドリアヌス帝の別荘群(ヴィッラ・アドリアーナ)から発掘されたもので、イシス・ソティス・デメテルの胸像(エジプトの女神とローマの大地の女神の融合)、それからオシリス神として表象されたアンティノス(ハドリアヌスの同性の愛人)の像。下段はヘルメスの杖を持ち、ローマ風の衣紋表現やコントラポストの立ち姿で表現されたアヌビス神(狗頭のエジプトの神)と、ローマ時代の彫像展示室にいた本物(?)のヘルメス。

ところで、ローマの美術館・博物館を巡っていて気がついたのだが、Museiと複数形になっているところがいくつかあるのだ(例えばMusei Vaticani)。個室単位のmuseoやpinacoteca(絵画館)の集積という意味なのだろうか。他国の美術館が、どれほど大規模なものであってもMusée du LouvreやThe British Museum、The Metropolitan Museum of Artなどであることを考えると、コレクション形成過程やミュージアム概念の相違が現れ出ているようで面白い。