彼方 (創元推理文庫)

彼方 (創元推理文庫)

破傷風のキリスト】(腐爛を極める聖的身体)

くじけて肩からもげそうになったキリストの両腕には、よじれた筋肉が革帯のように幾重にもからんで、付け根から手首まで、ぎりぎりと締めつけているように見えた。脇の下は裂けてやぶれ、大きくひらいた掌は、不気味な指をふりながら、祈願と叱責とをまじえた仕草で、なおも祝福を与えていた。胸はねっとりと脂汗にまみれてふるえ、胴体はまざまざと見てとれる肋骨によって、幾筋も深い輪型の溝をえがき、粉をふいて青く変色した肌はいったいに膨れあがって、蚤のくった跡が黴をおもわせ、笞の切先が一面に針でついたような斑点をちらし、なお皮膚に喰いって折れたままのとげがあちこちに残っていた。
血膿の時期がきた。特に脇腹の長くえぐれた傷は、深い流れとなって、黒ずんだ桑の実の汁のような血が腰のあたりにあふれ、ばら色の漿液や乳漿や灰色のモーゼル酒めいた膿汁が、胸からしみだして腹をひたし、そこにはリンネルの布がだらしなくみだれて、べっとりと下腹に波うっていた。それから、無理に寄せあわせた両膝は膝骸骨を打ちあわせ、足首までえぐられてねじれた脛は長く折りかさなって、腐爛の極みに達し、血膿のあふれるなかに緑色を呈していた。海綿状にふくれて硬直した足はさらに凄惨であった。皮膚には一面に吹出物がして、釘の頭をうめるほどにはれあがり、足指は両手の嘆きうったえる仕草を裏切って、呪詛の相をあらわし、チューリンゲンの赤土に似た鉄分のかった錆色の土を、蒼ざめた爪先がほとんど掻きむしりそうにしていた。(14-15ページ)

酒粕色だのモーゼル酒だの、汚猥な色を酒に喩える表現がユイスマンスには散見される。桑の実の汁も液状の食物だ。食物、嘔吐物、糞便、皮膚を喰い破って溢出するアブジェクティヴな物質(血液、漿水、膿など)、絵具、白粉、膏薬、この辺りは一直線に結べるのではないだろうか。