ブラザー・サン シスター・ムーン [DVD]

ブラザー・サン シスター・ムーン [DVD]

フランコ・ゼフィレッリ監督の『ブラザーサン・シスタームーン』を観賞。
青年の現実的な肉体を持ったフランチェスコは、中世の聖人というよりも、良くも悪くも等身大の「若者」といった風情。変にリアリティがあり過ぎて、ともすれば「富裕家庭に育った青年が、ある日ヤマギシズム的なものに目覚めてしまう図」に見えてしまう。(そもそもヤマギシズムのような原始共産制ユートピア主義の目指す先が、フランチェスコたちが作っていたような共同体だったのだから、現代的視点から似ているように見えるのは当然かもしれないが。)
富裕商人の父親や、免罪符時代の(堕落した)聖職者たちがあまりにも俗悪な中年として描かれ、それに対してフランチェスコとそれを取り巻くアドレッセントたちはほぼ完全に善良で純粋な存在に祭り上げられている。その二項対立の単純さも、通俗的な印象に拍車を掛けている。この映画に関しては、Wiki日本語版の解説にある「青春群像」という形容が、いちばん適切なのではないかと思う。「大人は分かってくれない」や「ボーイ・ミーツ・ガール」という典型的な構造に、未熟な若者たちが力を合わせて何かを遂げるという古典的ドラマツルギーを絡めた、よく言えば王道的、悪く言えばベタな構成。

自分の関心に照らして、面白いと感じたシーンをいくつか。
改心前、戦争に赴くために甲冑を身に着けた際、差し出された鏡の歪んだ表面に映った己の顔を見て、「これが私のデスマスクだ」と言う場面と、熱病にうなされているフランチェスコの顔面にガーゼの薄布が掛けられていて、一瞬ヴェロニカのハンカチーフのように見える場面。前者は、ストーリー上は「世俗的存在としてのフランチェスコが、この戦争をきっかけに象徴的な意味で死ぬ」ことの布石なのだろうけれど、鏡の物理的な状態(表面が撓んでいる)によって、その反映像が不気味な他者性を帯びるというところに興味を引かれる。
青春群像の部分はご都合主義的なのだが、病者や不具者の描き方は身も蓋もないほどリアルで、強烈な印象を残す。フランチェスコやクララたちが慈善を施すのは、身体中の皮膚が陰惨に崩れて、場合によっては顔つきさえ変わってしまっているような癩病患者たちである。(ハンセン氏病患者の保護は、聖フランチェスコの業績の一つ。DVDの日本語字幕では「皮膚病」に変えられているが、原語ではleprousと言っている。beggerも「貧者」に変えられているのは、放送上のNGワードに該当するせいだろうか。)