ヒッチコックの『見知らぬ乗客』を観る。自分のような門外漢が論じるまでもないほどの著名作だが、気付いた点をいくつか。

  • 類似のシーンが二度(あるいは複数回)繰り返される。一度目は重要な出来事の伏線として、二度目は単なる無意味なエピソードとして。(コンパートメントで近くに座った乗客同士、ぶつかり合う靴先。列車の振動が伝わって、テーブルの上で音を立てる食器。主人公のテニス選手がコンパートメント内に座っていると、唐突かつ不躾に話しかけてくるもう一人の乗客。主人公に交換殺人を持ちかけた男が、遊園地の入り口付近ですれ違う風船を持った少年など。)
  • 最初のクライマックスである主人公の妻の殺害シーンが、地面に落ちた眼鏡に映る鏡像として描き出される。類似の手法を用いた映画作品は枚挙に暇がないだろうが、直近で見たものでは例えばクロード・シャブロルの『Merci pour le chocolat』。ヒロインがココアに毒薬を入れる手元が、居間の鏡に映し出される。
  • 列車のコンパートメントとレコード店内の視聴ルームという、隔絶され孤立しつつも、実は類似の空間が前後に連結している場所でなされる「会話」。特に、レコードプレイヤーの置かれたガラス張りの小部屋が連なる中で、主人公とその妻が口論になるシーンは、空間の使い方が非常に面白い。
  • テニスの試合で観客が一斉に――ただし例の交換殺人を申し出た男を除いて――首を振るシーン、様々な映像で「引用」されているのは有名な話だが、先日の帰国時、飛行機の中で流れていたクレイアニメひつじのショーン』でも用いられていた。蜂の大群と犬(だったか)の死闘を羊たちの群れが見守るというシチュエーションなのだが、残念ながら「一人だけ静止しているが故に目立っている人物」はいなかったと記憶している。子供向けのアニメーションにまでヒッチコックが使われているというところに、妙な感動を覚えたものである。
  • イニシャルとファーストネームというモチーフの使い方。冒頭の列車内のシーンでは、テニス選手の取り出したライターに彫られたイニシャル(愛人から彼への贈り物であることを示す)から、「見知らぬ乗客」が彼の恋愛スキャンダルを言い当て、彼の妻の代替殺人を持ちかける。一方でこの男が常に身につけている「Bruno」のファーストネームを象ったネクタイピンによって、愛人はテニス選手が奇妙な男に付きまとわれていることを察する。
  • 男から渡された自宅の間取り図(彼は主人公に、自分の父を殺すよう嘆願する)に、主人公がペンライトを当てていくシーン。ペンライトという照射範囲が極小(直径1〜2cm程度なのではないか)の小道具を用いることによって、間取り図全体を一望することは不可能となり、まず玄関から階段が、それから廊下沿いに並んだ部屋が順繰りに浮かび上がる。主人公の潜入計画がこれから成功するのか否かという「サスペンス」が、擬似的に表現されている。
  • 階段を上がる場面のサスペンス(階段を上がりきった場所にたたずむ猛獣のような大型犬によって、緊張感が一層高まる)。