ブルジョワの室内と装飾品としての「教養」

音楽史を専門とし現在はフランス留学中の知人から、1920年代のフランスで「ピアノ税」なるものが課されていたことを聞く。奢侈税の一種だったのだろうかとか、この頃から比較的富裕な市民階級にピアノが普及していったのかもしれないなどと考えを巡らせると、なかなか面白い。(ちなみに、戦後から消費税導入以前にかけての日本でも、ピアノは奢侈品として、「物品税」の課税対象だったそうである。)アップライトピアノはすでに19世紀には発明されているようだが、1920年代当時のピアノの普及状況はどの程度だったのだろうか。
昭和50年代生まれ、中流階級出身の日本人である自分が、「ピアノ」と聞いて直ちに連想するのは、昭和時代の市民階級の「応接間」である。そこにはたいていアップライトピアノが置かれ、その上部には裾に房飾りの縫い付けられたビロードの布が敷かれていて、メトロノーム教則本とともに、小洒落た人形や陶器製の動物などが並べられていたものだ。同じ応接間の別の壁際には、硝子戸付きの本棚があって、化粧函入りの文学全集や、シリーズ物の画集などが「飾られて」いる。レースのカーテンや、一人掛けソファ2対とコーヒーテーブルが組になった「応接セット」、さらには母親がカルチャースクールで習ってきたと思しき手作りの飾り物なども欠かせない。この手の「昭和の中流階級の応接間」では、ピアノや文学全集といったものが、その実用的使用価値以上に、家庭の婦女子の教養の程度を訪問者に顕示するための、装飾品となっていたはずである。(その原型は、戦前のアッパーミドル階級の「文化住宅」内に設けられた「応接間」だろう。)私はフランス近代の「市民」を巡る文化状況についてはよく知らないのだが(ヴィクトリア時代のアッパーミドル文化についての文化史研究が盛んなイギリスに比べて、19世紀〜20世紀初頭のフランスのブルジョワ文化については、それほど取り沙汰されていないような印象すらあるのだが)、日本の「応接間」と似たような原理が働いていたことを、ひょっとしたら「ピアノ税」を切り口に解明できるのではないかと思った。
「装飾品」としての文学全集という点では、「プレイヤード版」の装丁も相当示唆的なのではないだろうか。落ち着いた色合いの合皮製の表紙に、タイトルや著者名、そして装飾意匠が金箔で押されていて、さらに厚紙の化粧函に入っている。妙に艶やかな合皮の表紙や、やけにピカピカした金文字などは、「持主の教養を分かりやすく誇示するためのブランド記号」として、これらの書物が「飾られる」ためのオブジェでもあることを示しているようにも思われる。