夜にはキャンパス内のホールで、クロード・ランズマンのフィルム上映と、ご本人を招聘してのディスカッションがあった。上映されたのは、「Sobibor, 14 octobre 1943, 16 heures(ソビボル、1943年10月14日午後4時)」。「絶滅収容所」と呼ばれたソビボルからの生還者の証言を収めたドキュメンタリーで、1979年と2001年の二度に渡って撮影されている。1943年10月14日というのは、収容者たちの歴史的大脱走の起きた日。
途中でインタビュー映像の挿入もあるけれど、映し出されるのはほとんどがソビボルの、そしてそこへと向かう風景。電車や自動車から撮られた移動中の画像も多くて、その意味では一種のロードムービーかもしれない。
(おそらく2001年に撮影された)風景が映し出されている間も、1979年に採録されたインタビューの音声が延々と流れる。フランス語使用者であるランズマンの問い掛けと、イディッシュ語話者の証言者による応答との間を、通訳の女性の声が媒介する。
ラストシーンでは、東欧・旧ソ連の収容所からの移送者リスト(日付、場所、人数)がエンディングロールのように映し出され、淡々と読み上げられる。全体を通して、「映画」の約定を破壊するくらい単調な映像なのに、ほとんど退屈を感じさせないのは、主題がもつ強烈な重さ故だろうか。
上映後の質疑応答では、「果たして通訳者による翻訳は、正確に証言の内容を伝えているのか?(これは別に歴史修正主義的な懐疑ではなく、単純に通訳者の質を問うもの)」という質問が出された。ランズマンによれば通訳者の女性は敬虔なユダヤ人で、彼女自身がある精神的なトラブルを抱えていたそうだ。ランズマン自身もユダヤ系の出自らしいが、「通訳」を通さないと歴史の証言者と向かい合うことができない。あの場でフィルムを観ていた者たちもまた、そのほとんどがフランス語部分しか理解することができなかったはずである。「歴史を記すこと」の何かを象徴している現象だと思う。