メディアとしての建築

彦坂裕「語る建築、語られる空間」菊地誠編『メディアとしての建築 ピラネージからEXPO’70まで』東京大学総合研究博物館、2005年、93-100ページ、より。

いくつかの重要なことがらが、こうした建築と外的メディア(ここでは銅版画)の連帯によって孵化しはじめた。
ひとつは、都市空間全体が汎舞台化・広告題材化することによって、宮殿とか教会、モニュメント、あるいは特定の巨大催事といったもの以外の民事的な建築、民事的な空間の露出度が大きなものになっていく。これらは実に多種多様であり、当時の考古学的思索や遡行趣味と相まって、多元的な建築史観や空間認識を涵養し、都市そのものが博物誌的なフィールド、広告的視点からいえば初期的な博覧会場的様相を帯びはじめる。18世紀以降、民事建築のヴァリエーションは驚異的に増え、その分類学も社会的に定着する。これが19世紀、20世紀となるにつれ、産業革命をはじめいくつかの技術革命の物的・知的所産が建築に編入されはじめ、種は多核化の一途を辿る。都市はそれらが共棲するスペクタキュラーな空間となった。
もうひとつは、建築の描かれた情景自体を喧伝・遡及するために、虚空の空間が出現するということだ。著名なカナレットのヴェネツィアのリアルト橋を望む風景が、本来そこにあるはずのない建築が描かれていたように、すでに銅版画に定着されたヴェドゥータも修辞的な加工が幾重にも施されている。虚構の建築体系創造への情熱は、理想化された建築世界として、F・v・エルラッハによる「歴史建築の計画」、ピラネージによる「ローマの偉容」、C・N・ルドゥーによる「芸術・習俗・法制との関係から考察された建築」など、この時代を前後して印刷メディア上で数多く試みられた。こうした体系は無限大の想像力の延伸を誘うものでありつつ、ある種の完結性をもっている。ヴェドゥータの場合は、そうした完結性を超え、より開放的な形で、本来その都市情景が「あるべき」姿と現実が修辞的に重ねられ、結果的にはどこにも存在しない場面が訴求される。その虚構と現実のコラージュはコラージュであることすら一瞥では判明しない。そしてそのイメージだけが社会化されるのである。
現実的なフィールドでは、異国趣味や折衷というあり方が、様式遭遇、文化遭遇による建築創造・都市創造という形態で頻繁に登場する。この基盤にある概念は、とくに19世紀後半から台頭し、それこそ現代に至るまで延命する博覧欲望と(想像力上の)旅への情熱である。異質なるものの遭遇は、博覧と旅によって罪のないものになるわけだ。[引用者メモ:ヘテロジェニックな物どうしの出会いを無害化する、「博覧会」と「旅行」という19世紀的契機。]
建築をその要素とする都市のパノラミックな舞台化は、この時期急速に量産されはじめた。都市風景が都市自体のメディアとなる。言うまでもなく、そこのメッセージは、件の都市の文化生産力であり活力であり魅力、すなわちあらゆる意味での「力」である。ヴェルサイユと同じように、その背後には、「力」を可能にするテクノロジーの驚異が伏流する。付け加えておくなら、この「驚異」(メルヴィーユ)は、近代社会における突出した価値のひとつでもあった。(95ページ)

表現自体の差異を超え、こうした都市広報機能をもつフォーマットは、表象としての建築が文脈なく集積することによって都市訴求をする場面で汎用された。そこには、多種多様な建築、その集積力が、描かれる対象の基本資質として求められる。パノラマは、包括的な都市の代理=表象を担うのである。我国近代期の浅草六区のパノラマでは、やはり十二階と呼ばれた凌雲閣をはじめ名物建築が同型のコラージュを見せている。万国博覧会自体をセレブレーションするニューヨーク博のコラージュ(広告ポスター)、ハイカルチャーの文脈では20世紀の未来派ダダイストたちの都市コラージュ、そしてローカルチャーの文脈では全くクリシェと化した多くの観光パノラマ図などに、我々はその影響を見出すことができる。(96-97ページ)