「風景画(paesaggio)」と「都市景観画(veduta)」は、ときに一括して語られがちである。しかし、風景画の系譜において一般的に指摘されている「現実の風景の<<発見>>とリアリズムへの志向」という契機を、都市景観画にも当てはめることは果たして適当であろうか。18世紀末から19世紀にかけての風景画の興隆に、「故郷」「自国」への眼差しという、ある種の政治性を帯びたものが介在していることはしばしば指摘されている。(代表的なのは、W.J.T.ミッチェルによる研究だろう。)しかし17世紀後半から18世紀にかけて盛んだった都市景観画に反映されている「光景への眼差し」は、風景画へのそれとは位相を異にしているように思うのだ。

実景に忠実な都市景観画はグランド・ツアーの流行と、「カプリッチョ」と呼ばれる分野は当時の画家の主観的想像力を巡る芸術理論と結びつけて説明されるのが通例だ。だが、範型としての都市実景への「忠実度」は実は程度の問題に過ぎないのではないだろうか。その両者に通底するものが、「都市を描くこと(特定の時期に特定の地域において)」の中に、存在するのではないかと思う。