「奇想の王国 だまし絵」展(Bunkamuraザ・ミュージアム)へ。
http://www.bunkamura.co.jp/museum/lineup/shosai_09_damashie.html
展覧会カタログに収められた論文でも明言されている通り、「trompe-l'oeil」という特定のジャンルに属するもののみならず、観る者の視覚を欺き、撹乱するような絵画を集めた展覧会。マニエリスム-バロック期の王道派トロンプ・ルイユやアナモルフォーズから、19世紀の日本の視覚詐術、シュルレアリストたちやオプ・アート、そしてコンテンポラリーな作品まで網羅している。展示作品を観ながら気付いたことを、以下に箇条書き。

  • ペレ・ボルレ・デル・カソ《非難を逃れて》、バルトロメウス・ファン・デル・ヘルスト《ある男の肖像》、聖血の画家《ルクレティアの自害》:「描かれた」額縁を境界として、向こう側(絵画の中の世界)」と「こちら側(観者の世界)」との交通(相互浸食?)が問題となっている。しかし、現実の額縁が嵌められることによって、「この内部は描かれたものである」ということが明言されてしまう。
  • アドリアン・ファン・オスターデ《水彩画の上に置かれた透明な紙》:観ることを阻害する「薄紙」が、トロンプ・ルイユ形式で描かれている。不可視性・盲目性と概念で語るよりも、むしろ見せつつ隠すイメージ、よりよく観たいという欲望と欲求不満とを同時に起こさせる、teasingなイメージと言うべきか。
  • ジャン=フランソワ・ド・ル・モット《トロンプルイユの静物》、ギョーム=ドミニク・ドングル《トロンプルイユ》:額縁も「描かれた」もの。絵画内空間と絵画外の現実との境界を撹乱する試み?
  • ジョン・フレデリック・ピート《思い出の品》:ラベルを「剥がした跡」が描かれている。トロンプ・ルイユには、「剥がれそうな紙片」「転がり落ちそうな事物」が、モティーフとして頻繁に登場する。絵画と現実との境界(カンヴァスの平面)が撹乱される。
  • 杉本博司ウィリアム・シェイクスピア》:ご存知、蝋人形をモノクロ写真で写したシリーズの内の一作。蝋人形の写真という二重の「コピー」によって、ニセモノの人造物とホンモノとの区別が揺らぎ、あたかも生身の人間を写した写真であるかのような、実在性・迫真性が生まれるという逆転現象。