Mind of a Toy

先日の記事で紹介したVisageの「Fade to Grey」のミュージッククリップは、Godley & Cremeという映像作家コンビによるもの。彼らは元々はミュージシャンだったが、80年代初頭にはミュージックビデオを手掛けるようになったらしい。下に埋め込んだ「Mind of a Toy」も、同じくGodley & Cremeの制作によるVisageのミュージッククリップ。

ヤン・シュヴァンクマイエルキッチュでバナルな側面を、悪い方に強化したような作風といおうか……歌詞を忠実に映像化しているせいもあるのだろうが、「人形」や「玩具」に持たせている象徴性が、いかにも陳腐なのが何とも。この手の耽美的で自己陶酔的なヴィジュアルアプローチが、実は滑稽さと紙一重であることを再確認させてくれるという、ニューロマンティック・ムーヴメントに水を差すかのような仕上がりとなっている。スティーヴ・ストレンジの眼は、目頭がぱっくり開いていて、普通に開いた状態でも黒目がすべて露出しているという独特の造形で、それが一種のマネキン人形っぽさを醸し出しているのだけれど、このビデオではむしろ彼の端正ではない、それ故生身の人間らしい部分が際立ってしまっているように思える。「人形性」がテーマの作品であるにも関わらず、彼の無性的・無機的な要素は捨象されていて、まるで露悪趣味のピエロのようだ。個人的な願望としてはスティーヴにはどこまでも美しい存在でいて欲しかったので、最初にこの映像を見たときには悪い意味で衝撃を受けたのだが、もしこれが完璧に計算された「キッチュ」なのだとしたら、むしろ相当にシニシズムの効いた、面白い作品であるだろう。

それはその恐るべき、鈍感な忘れっぽさによって私たちをほとんど憤激させてしまうだろうし、また、意識されぬままにいつも人形にたいする私たちの関係の一部をなしていた憎悪がこみあげてもくるだろう。人形はその正体を露呈し、ぞっとするような場違いの異物として私たちのまえにあることになるだろうが、実はそんな存在のために私たちは、私たちの心のもっとも混じりけのない温もりを浪費していたのだ。あるいは、それは表面が安っぽく彩られている水死体のようにも見えることだろう。それは私たちの情愛という洪水の波間を漂っていて、いつしか私たちの気持ちが涸れてしまうと、どこかの薮の中に置き去りにされ、私たちから忘れられてしまったのだ。……奇妙な生きものではないだろうか、この私たちは――自分たちの最初の愛情を、報われる見込みのないところに注ぐようにしむけられているとは?
(田口義弘訳『リルケ全集7』河出書房新社、1990年。)