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- 「表情」のアルファベット
Mantegazza, P., La physionomie et l'expression des sentiments, Paris:F.Alcan, 1885.
アーカイヴ:http://web2.bium.univ-paris5.fr/livanc/?cote=50194&do=chapitre
(作者のファーストネームはPaoloだが、GalicaとそこからリンクされているBIUMの登録は、なぜかMantegazza, O.になってしまっている。)
マンテガッツァは、彼のいう「身振りのアルファベット」[…]にもとづく厳密な分類によって「表情のダーウィン的法則」を敷衍したと考えていた。
ディディ=ユベルマン『残存するイメージ』人文書院、2005年、244ページ。
(上記の部分に対応する原文は、「Dans le chapitre précédent, je me suis étudié à réduire à leur plus simple expression les lois qui gouvernent la mimique et à en tracer, pour ainsi dire, l'alphabet.」p.75)
→「文字」としての身振り?(「アルファベット」という一種の文彩?)
- 顔・表情の還元・抽象
ラヴァーターによれば、観相学者にとって鍵となるのは、各部分が刻々と変化してやまない顔の生きた表情などではなくて、細部や動きのいっさいが捨象された頭蓋骨のプロフィールの、まるで死人のような影なのである。
(岡田温司『芸術と生政治』平凡社、2006年、98ページ。)
- ミクロコスモスとしての頭部
[シャルル・ル・ブランの表出を巡る理論は]画家必携のものであるだけに、システムは図式的にいい表わされる。「身体全体の身ぶりはもっとも顕著な表徴の一つであるといえる」とはいえ、アプレイウスがつとに断言するように、人間がそこにまるごと姿をみせる頭部の身体表徴だけに注目するがよい。人間が縮小された世界であるならば、頭部はいわば全身の縮図である。一つの世界であり、身体の要約であり、同時にたましいのあり処の松果腺をもそなえている頭部は、のみならず、動物たちの世界をも含みもっている。動物たちは彼らの性向において人間の情緒におけるのとは異なるけれども、彼らこそはまごう方ない表徴のアルファベットを提供してくれるのだ。
(ユルジス・バルトルシャイティス『アベラシオン』国書刊行会、1991年、32ページ。)
→バルトルシャイティスは17世紀後半以降の観相学を、古代より存在する、人間と動物との間に相関関係を見出す思考の復活と見なしている。「人間をめぐって成長してきた古き隠秘的思考が、その精神をいささかも裏切ることなく実証的研究のなかによみがえる。」66ページ;「それはプリミティヴな表象と形態への先祖帰りであり、にもかかわらずこの先祖帰りそのものは時代の一要素の賜物である。」69ページ)バルトルシャイティスの関心は、(「生政治」という視点に立脚し、時代特有の眼差しとそこに存在する政治性を看破しようとする岡田氏とは逆に)人間の「幻想」における古代的なものの復活にある。(ちなみにここでも、「表徴のアルファベット」という表現が用いられている。)