迷宮のナルキッソス


ウェブ上にアーカイヴされている山川純一の漫画作品「俺がいちばんセクシー」(1987年)を読んでいて、ふと気がついたのだけれど、ナルシシズム(この場合はオートエロティシズムと言った方が適切か)は結果的には同性愛に帰着するのではないか。(鏡という古典的な、ある意味紋切り型と化したモティーフではなくて、己れの写ったビデオ作品という現代的で卑俗な対象を選ぶところが、山川氏の突き抜けたgénieであるだろう。)澁澤龍彦は近親相姦を「鏡の中の千年王国」と称しているけれども、(観念的なレベルでの)ある種の同性愛も、鏡を巡るエロティックな欲望の問題として捉えられそうである。この点に関して言えば、山本タカト氏の作品に頻出する、双子のように酷似した二人の美少年による同性愛的な仄めかしも、なにやら「鏡像への愛と同性愛」のテーマと結び付いているように思う。
自他ともに「平成の浮世絵師」を以て任ずる山本氏であるが、毛髪や衣服の襞の表現は、その実、少女漫画の「文法」ないし「約定」をかなりの部分踏襲しているように見受けられる。画集タイトル(ヘルマフロディトゥスの肋骨、ナルシスの祭壇、ファルマコンの蠱惑……)がもつ澁澤的な「分かりやすさ」も含めて、この微細な通俗性が、描線や構図のストイックなまでの端正さが逆説的に醸し出すエロティシズムと相俟って、多くの愛好者たちを惹き付ける要因となっているのだろう。彼の描く世界は、やや安直な二項対立を持ち出すなら「崇高」(つまり不快の感情と結び付き得る強烈な感覚)ではなく、徹底して「美」であって、どこまでも眼に快く、観る者を楽しませてくれる。
上掲の作品は、『L'imaginaire érotique au Japon』に収録されている山本氏の《Composer le crépuscule》。