桜の木

ふとしたことで「日本における桜のシンボリズム」について調べていたら、面白いテーマをふたつ見つける。
ひとつは、日本の近世文化の中で、「桜の木」が此岸と彼岸、現実世界と異界との閾になっているパターンが多いこと。桜の木を墓標にする、枝垂れ桜の枝を伝わって霊魂がやって来るという柳田国男の学説や、歌舞伎『積恋雪関戸』に出てくる桜の精など。
もうひとつは、戦時中の桜の象徴性を代表する軍歌『同期の桜』の変容過程。仏文学者・詩人・児童文学者である西條八十が当初『少女倶楽部』に投稿した詩(1938年)は、次のようなものであったという。

君と僕とは二輪の桜
積んだ土のうの影に咲く
どうせ花なら散らなきゃならぬ
見事散りましょ国のため

甘美で自己陶酔的なロマンティシズムや、そこはかとなく漂う少年愛的世界観が、昭和19年頃に流行したという軍歌では、人称や微妙な語彙の変更によって、分かりやすくマッチョな調子に変容している。

一、
貴様と俺とは同期の桜
同じ兵学校の庭に咲く
咲いた花なら散るのは覚悟
見事散りましょ国のため

二、
貴様と俺とは同期の桜
同じ兵学校の庭に咲く
血肉分けたる仲ではないが
なぜか気が合うて別れられぬ

三、
貴様と俺とは同期の桜
同じ航空隊の庭に咲く
仰いだ夕焼け南の空に
今だ還らぬ一番機

四、
貴様と俺とは同期の桜
同じ航空隊の庭に咲く
あれほど誓ったその日も待たず
なぜに散ったか死んだのか

五、
貴様と俺とは同期の桜
離れ離れに散ろうとも
花の都の靖国神社
春の梢(こずえ)に咲いて会おう

桜の散り際の潔さに、一種の武士道精神を読み込むのは、本居宣長の著名な句「敷島の大和心を人問はば朝日に匂ふ山桜花」の誤読以来の伝統なのだろう。ここでむしろ自分の興味を引いたのは、「君と僕とは二輪の桜」という詩が、少年雑誌ではなく『少女倶楽部』に掲載されたものであるということ。少女向けに演出された、二人の少年の幾分ホモエロティックな世界(しかも死を運命付けられているという、ロマンティックな背景付き)という点では、今日のボーイズラブ物の元型という気もしなくもない。