藤田嗣治展(東京国立近代美術館)

各時期を代表する作品を集めた、かなり大規模な回顧展。精緻なリアリズムによるが学生時代の自画像も、フジタを象徴する乳白色の裸婦像群も、未亡人存命中は何かと物議を醸したという戦争画も、それぞれ別の展覧会で目にしたことはあったが、クロノロジックな連続体として彼の画業を一望するのは、これが初めてである。以下は印象に残った作品についてのメモ。

・『幻想的風景』:ルーヴルや大英博物館で観たエジプト・ギリシア美術の残像、南画風の山、モディリアーニ風の人物。引用の混合体。
・『花を持つ少女』:肌と背景の、墨色の濃淡。
・『自画像』(1921年):後景に置かれたオブジェのぎこちなさ。フジタにおいては、透視図法の狂いや陰影の唐突さが、事物の不自然な存在感を醸成しているようだ。
・『五人の裸婦』:絵画内空間における奥行きの不自然な浅さ。クラナッハの裸婦が立つ、不思議な断崖のようである。
・『室内、妻と私』:静物のぎこちなさ、背景の壁とその上に飾られた額や絵皿の平面性。
・『裸婦』(1923年):浅い奥行きの床(板目の逆遠近法)。布と壁紙の紋様の平面性。
・『エレーヌ・フランクの肖像』:まるでタブロー上に浮いているかのような錯覚を抱かせる、壁に掛けられた絵と皿。輪郭の周りを白く浮き立たせ、その周りに暈した陰影を付ける手法の所為だろうか。
・『死に対する生命の勝利』:大理石紋様の平面性、窓枠やその外にあるギロチン、右端の階段の、狂った透視図法。
・『窓』:窓枠の向こう側に、五人の女。左端の女が窓枠を握っていることで、平面上に描かれた直線のように見える窓枠の、三次元としてのイリュージョンがかろうじて担保されている。
・『メキシコにおけるマドレーヌ』:人物像の背後に広がる風景は、写真館の背景幕のようである。人物が風景の中に参入しているように見えない。奥行きのまったく感じられない、不可思議な絵画内空間。
・日本の風俗や沖縄の光景を描いた作品群(「II−2日本回帰」と題された区画):エキゾティシズムの対象としての日本風景、日本人の相貌。
戦争画:画学校時代の「洋画」的アカデミズムへの回帰。
・第二次大戦後、再渡仏以降の作品群:北方のボデゴンにあるようなグロテスクな小動物たちと、「本当にこの予に存在している子供ではない」、胎児のような畸形児のような青白い子供たち。
・洗礼以後の宗教画:ファン・エイク風のぎこちなさ、水彩のような透明の色彩。