横浜美術館にて映画祭。午後のプログラムが、クェイ兄弟の『ストリート・オブ・クロコダイル』(いつ見ても秀逸なイメージ群。埃の積もったガラスのパサージュ空間がとりわけ美しい)、イジー・バルタの『手袋の失われた世界』(子供のころ、よく物を擬人化してごっこ遊びをしていたのだが、その世界観を思い出した)、シュヴァンクマイエルの『対話の可能性』と『闇・光・闇』(粘土で造型され、ときおりどろどろの不定形になる人体の気持ち悪さが図抜けている)。シュヴァンクマイエルの『男のゲーム』も上映されたようだが、時間に少々遅れたので見逃した。

夕方の部では、アレクセイエフ&パーカーの『禿山の一夜』(影の濃淡で作ったという映像。ユゴーやケルナーによる「しみ絵(クレクソグラフィー)」の、ある種の無気味さと通底する世界だ)、ルネ・ラルーの『ファンタスティック・プラネット』(ヒエロムニス・ボッスの絵画由来と言われる異形の生物たちの造型が見事)、それからラウル・セルヴェの『夜の蝶』(ポール・デルヴォー絵画特有の、蝋人形のような、死せる自然のような女が、蝶の一触れで機械仕掛けのように動き出す。途中侵入してくる中折れ帽の男性――デルヴォー作品でも、女たちの世界への闖入者、あるいは観者の代理としてしばしば登場する人物――は実写モノクロ写真のコラージュで、その唐突さと不整合が面白い)が掛かる。