自主ファカルティ・ディベロップメント
国立教育政策研究所 高等教育研究部「大学生の学習実態とその構造的特質(プロジェクト研究(平成25〜27年度) 「大学生の学習実態に関する調査研究」成果報告)」2016年10月
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo4/siryo/__icsFiles/afieldfile/2016/10/28/1378453_04.pdf
要点を抜粋すると以下のようになる。
・学習時間の増大を阻む要因(1) アルバイト:アルバイト時間が長いほど平均学習時間は短い傾向
ただし「学費のためにアルバイトをしている学生(低所得層に多い)の方が予習・復習の時間はむしろ長い」「学業成績についても同様の傾向が確認できる」
・学習時間の増大を阻む要因(2) 授業出席時間(履修科目数)の多さ:1〜2年生では平均13〜14科目登録、授業への出席率は高い、1セメスタ当たり20単位以上修得(3年生で卒業要件を満たす)
「 1年生では、単位の過剰修得は成績を下げる」「低学年時の授業時間(履修科目数)の多さは要検討」
・教育改革と学習時間の関係:授業内容・方法の工夫は予習・復習の時間にプラス
しかし、学習時間の規定要因として「教育改革の取組の効果はきわめて限定的」
要は「日本の大学生の学習時間が少ない」のは、大学での履修単位数そのものが多く、さらには4年次は就職活動が入ってくるため、とりわけ1〜3年次に授業のコマを詰め込まざるを得ないから、ということらしい。
これは勤務先の大学の学生を見ていても、体感的に納得できる。とくに私の所属学科の場合は取れる資格のヴァリエーションも多いため(中高の国語科・書道科・美術科教免、博物館学芸員、図書館司書、司書教諭、日本語教員)、例えば「教職と学芸員をダブル履修」となると、年間の履修単位が50近くになることもある。
ここから先は、別の論点。学生はぎゅうぎゅうに授業を詰め込んでいるにもかかわらず、なぜ4年生になっても人文学における作品分析の基礎知識(「作者の意図」と「可能な作品解釈」の峻別だとか、「想像の共同体」「創られた伝統」「オリエンタリズム」といった類の権力作用に対する批判的概念だとか)を「聞いたことすらない」者が大量発生しているのかと疑問に思っていたのだが、資格科目のヴォリュームに押されていることもあり、そういう「そもそもの基礎を理論的・体系的に教える授業」が設計されていないという構造的欠陥があったのだ。この点は、新任の博物館学の教員も問題視していた(=「そもそも博物館とは何か」という基礎概念が教えられることがないまま、「展示はどうやるのか」といったテクニカルなレベルの授業に終始してしまっている)ので、学科単位で改善策を講じていくつもり。