建築の保存・修復・復元が孕む諸問題

『建築雑誌』2010年1月号(特集:検証・三菱一號館再現)
http://www.xknowledge.co.jp/book/detail/85551001
前半に収められた座談会と鼎談では、三菱一号館の「再現」が孕む問題(と可能性)が、多様な視点から明らかにされる。後半は、建築の「再現」を取り巻く問題系について、見開き2ページの論文を集めたアンソロジーとなっており、国際的・歴史的なパースペクティヴが確保されている。
三菱一号館が、取り壊し後約半世紀を経て明治期の姿に「再現」されるという、一種異常な出来事に対して抱いていた疑問や違和感を、明確に整理することができた。特に内田祥士氏と松山巌氏の舌鋒鋭い切り込みは、今まで漠然と抱いていた「違和感」を明瞭に言語化してくれたと思う。今回の特集で初めて知ったこともたくさんある。現在の三菱一号館の敷地には1928年竣工の八重洲ビルが建てられていたこと(つまり、八重洲ビルの「記憶」や「歴史」は、保存に値しないと判断されたことになる)。歴史的建造物の再現や文化施設の建設は、行政から容積率規制の緩和という恩恵を授けられるということ。三菱が土地を所有する丸の内地区に関しては、1960年代から「美観論争」が持ち上がっていたこと、などなど。
さて、本誌では松山巌氏も土井義岳氏も、「復元」の目標が明治時代であることに疑問を呈している。「いまの丸の内の代名詞が求めるイメージが明治時代なのかという本質的な文化論、歴史論があっていいと思います(松山)」「丸の内は[…]それぞれの時代の刻印があって然るべきできす。けれど、イメージ戦略でひとつの時代だけをクローズアップしています(土井)。しかし、プレ・オープン記念として開催された『一丁目倫敦…』展などを見る限り、個人的にはむしろ明治時代こそが、ビジネス街にとってのアルカディアとして想定されているのではないかという印象をもつ。高度成長期やバブル経済期が、様々な弊害や後遺症への反省をも迫るのとは裏腹に、一丁目倫敦の煉瓦街はもはや、美化された記憶と甘美なノスタルジーしかもたらさない、無害な――あるいは糖衣に包まれた――時代と化しているからだ。

さらなる疑問として浮かんだのが、次の点である。従来的な「保存・修復」で必ず問題となる、「オリジナル」や「オーセンティシティー」の概念――本誌でも、様々な国や国際会議の例が論じられている――が、一号館のような「再現」では完全に無効化されてしまうのか?空間に沈殿した「記憶」は、果たしてゼロクリアされてしまったのか?(内覧会で感激していたという、かつて一号館内の事務所に勤めていた元会社員たちは、それではいったい何を懐かしがっていたのだろうか?)

モニュメンタルな建築と言えば、少なくとも西洋建築史上では、聖俗の権力と結びついたものが一般的であろう。民間資本による建築物がこれほどのパワーを持つのも、近代以降の日本の(特に経済産業や行政機構の)特性の現れなのではないかと思う。