鏑木清方

清方ノスタルジアサントリー美術館
招待券を頂いたこともあり、久々にミッドタウンに足を運ぶ。若描きから晩年まで、帝展出品作からグラフィックデザインや新聞・雑誌のイラストレーションまで、清方の作品を辿り、ところどころで参照項として、江戸時代の浮世絵作品や当時の服飾品・調度品などを併置した展示になっている。「美人画」が、第二次大戦下の日本では自粛すべき絵画ジャンルと見なされていたことや、清方作品を通じて垣間見える当時の風俗など、新知識や面白い発見などを得ることができた。清方の描く女たちに限らないが、戦前の和装の着付けは、襟元の合わせが緩く、おはしょりもいい加減。補正でガチガチに締め上げ、襟もおはしょりも定規で測ったように整える今日の「着付け」は、戦後に発生した着付け教室の産物だと聞いたことがある。「着物」が、誰もが着る普段着から「礼装」、もしくは良家のお嬢様/奥様であることの記号へと変遷したこともあるだろうし、大戦を挟んで、(女性の)規範的な身体という概念が変化したこともあるだろう。
清方とは全く関係がないのだが、明治33年の新聞にはすでに「ハゲ、ウスゲのための薬」の広告が出ていて、この時代には既に「ハゲ」は恥ずかしいもの、治療し予防すべきものという観念が固定し、育毛剤が市民権を得ていたことを知る。(「ハゲ」が問題化するのは、洋髪の強制とほぼ同期だったのではないかと言う気もするが。)
平日の夕方だったこともあるのか、会場には『婦人画報』の想定読者層といった感じのマダムたちがちらほら。六本木ヒルズにある森ミュージアムも、小金持ち感漂う入場者が多いが、こちらは光文社系といった趣きの、20代半ば〜後半のカップルが主流である。美術館の性質やロケーション毎に、「入場者」の社会的属性があからさまに異なるのは面白い。フランスでも、例えばルーヴルとカルナヴァレ美術館とポンピドー・センターでは、やはり入場者の「トライブ」に明白な偏りがあって、印象に残っている。