建築に関する所感(思考の断片)
この版画家がこだわり続けたのは、機能に還元されることのない、「物質」の側面なのではないだろうか。『建築に関する所感』や『暖炉の様々な装飾法』に顕著な装飾への固執も、その現れであるように思われる。このような「即物性」もまた、ピラネージの眼差しと手つきに共通しているように思われる。それは視覚的考古学の徒として、対象を触るように見る観察眼であり、また彼の版画作品そのものが持つ触覚性にも繋がっている。彼の尖筆は廃墟の壁面がもつ荒粗な質感を巧みに描きだすが、それは紙の表面そのものがささくれ立っているかのような錯覚を生ぜしめる。また、紙の「捲れ」という仕掛け――絵画史の伝統に従えば、トロンプ・ルイユ表現――は、それを払いのけて下に隠されたものを見たいという、これもまた触覚的な欲望を掻き立てる。
『所感』では、カルロ・ロードリやロージェに代表される機能主義が退けられ、代わりに建築の賭金は「装飾」であるとの結論が下される。装飾とは、建築の諸部分を還元していくことによって得られる普遍的な「本質」ではない。様々なモティーフの組み合せによって、個別的・恣意的に現れ出てくるものだ。構造としての建築を形成する基礎部分――例えば、ロージェに依るならば円柱、ペディメント、エンタブレチャー――ではなく、その表層を覆うものである。ピラネージは、重力に抗って「建てること」よりも、むしろ水平的・表層的な次元での、要素同士の結合を問うている。