7月末から8月頭にかけて、調査を兼ねてローマに行ってきた。夏のローマは蒸し暑くて川辺では蝉が鳴いていて、ところどころに植わっている笠松の並木もどこか日本の夏を連想させる。

ディジョンもパリも薄灰色の建物に柔らかい影が落ちているけれど、ローマは建物が色鮮やかだった。芥子色や煉瓦色、濃い鮭肉色の壁面。波打つ装飾が壁面を飾るパリとは対照的に、比例的な均衡美といった感じの建築だ。太陽の光が強く、影は絶対的に黒い。強烈な明暗法が南ヨーロッパで生まれた理由が分かる気がする。

顔シリーズをアップロードしました。
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新企画
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ローマの街のあちこちにくっ付いていた「SPQR」は、Senatus Populusque Romanus(ローマの元老院と市民)の頭文字。
同じくらいの頻度で見掛けたのが、「PONT.MAX.」(Pontifex Maxius/Pontifici Maximo=最高の司教つまり教皇)という略号。ローマは古代帝国の栄光と長年の教皇権威に下支えされている街なのだと実感する。

宿の近くにたまたまフォロ・イタリコがあった。ムッソリーニが企画し、60年のローマオリンピックの際に完成したというスタジアム。競技場を巨大な彫像たちが取囲み、入口にはムッソリーニの名を刻んだ白亜のオベリスクが聳え、近代建築ながら恐ろしく壮麗だった。絢爛な装飾に埋め尽くされたサン・ピエトロにしても、このフォロ・イタリコにしても、壮絶で圧倒的な美(バークやカントの言う「崇高」に近いもの)を生みだすことができるのは、巨大で絶対的な、ときに忌まわしい力なのだろう。

フォロ・イタリコの60体の彫像には、台座にイタリアの地名が刻まれている。上の写真はROMA。他の彫像が裸体なのに対し、ローマはライオンの皮を被り、神話的英雄ヘラクレスに準えた姿で表現されている。

これはカピトリーニ美術館にあった彫像で、英雄ヘラクレスに扮したマルクス・アウレリウス帝の息子。