ヴェネツィアの石―建築・装飾とゴシック精神

ヴェネツィアの石―建築・装飾とゴシック精神

ラスキンの代表的著作のひとつ。この邦訳に付されたサブタイトルが正しく表している通り、ラスキン流の「ゴシック建築の本質」論である。

矢代幸雄は大学生時代に、ラスキン著作集の全訳を手掛けている(出版社の提示した翻訳料があまりにも安かったため、刊行は頓挫)。北方の「ゴシック」と南方の「クラシック」を二項対立図式に据えるという矢代の発想は、ラスキン由来のものかもしれない。もっともラスキンは、南方的クラシックの本質についてはあまり語っておらず、厳密には対立と言えるほどのバランスは取れていないのだが。

特定のカテゴリーから固定的な「本質」を抽出しようとする発想も、ラスキンと矢代に共通している。

一般にイギリスのゴシック・リヴァイヴァルは、ノルマン人による征服以前のサクソン人による王制を理想化・規範化するものであったと言われる。つまり「異民族に汚染される以前の正統な国家的起源」を象徴する建築様式としての「ゴシック」なのである。ラスキンの場合は、ゴシック様式を語る際に「キリスト教」という言葉を頻用しているのが目立つ。ヴィクトリア朝という時代の空気だったのかもしれないが、語調もどこか道徳的だ。芸術制作を一種の労働と見做して、そこに社会政策論的な規範定立を持ち込んでいる点も、芸術論の歴史の中では特異的だろう。

ラスキンの言説がアーツ・アンド・クラフツ運動やラファエロ前派の理論的支柱になったことはよく知られているが、批評が芸術の潮流を規定するという現象の先駆けは、ラスキンだったのだろうか。既に指摘されていそうな観点だけれど。