「文化国家」や「文化的統合の象徴」を論ずる上での最大の困難は、「文化」概念の定義や射程が論者によって異なることだ。例えば矢代は、「芸術」と置き換えても通じるような、ある種の高踏的な趣味判断によって選び取られる対象を「文化」と名指しているように思われる。対して和辻や三島が言う「文化」は、より広範な、「ハビトゥス」とでもいうべきものだ。