• 『チャールモント卿への弁明書』タイトルページ第1刷銘文

"NEC MI AVRVM POSCO NEC MI PRETIVM DEDERITIS ENNIVS"
ローマ叙事詩の父と称せられるエニウス(Quintus Ennius,239-169? B.C.) がピュロス王(318?-272B.C.)に向けて謳ったという以下の詩文の一節。

nec mi aurum posco nec mi pretium dederitis
non cauponantes bellum sed belligerantes,
ferro, non auro, uitam cernamus utrique,
uosne uelit an me regnare era quidue ferat Fors
uirtute experiamur. et hoc simul accipe dictum:
quorum uirtuti belli fortuna pepercit,
corundem libertati me parcere certum est.
dono, ducite, doque uolentibus cum magnis dis.

  • 第2刷銘文

"IVSTISSIMO CASV OBLITERATIS TANTAE VANITATIS NOMINIBVS PLIN. LIB. XXXVI CAPXXII"
末尾で大プリニウスによる『博物誌』の第36巻22章が指示されているにも関わらず、引用されているのは第36巻17章(エジプトのピラミッドについて)の一節"iustissimo casu obliteratis tantae vanitatis auctoribus"(ラテン原文はed. by T.E.Page et.al., Pliny Natural History, Vol.X, LibriXXXVI-XXXVII, London: William Heinemann, Cambridge: Harvard U.P., 1962, p.62より)である。(末尾のauctoribusがピラネージではnominiusとなっているが、底本となったプリニウスの版が異なるのかピラネージが文言を変えたのかは今のところ不明。)『博物誌』22章は、シジカスの神殿とその見事な大理石と象牙の彫刻に関して、建築家とその用いた素材を賞賛するものである。XVIIとすべきところをXXIIとしてしまった単純な錯誤なのか、それとも「ヴェネツィアの建築家」を終生名乗り続けたピラネージが、自らの矜持を示すべくわざと違う箇所を指示したのかは、まだ調査中。先行研究が既にありそうにも思うのだけど。

この銘文は、さらに第3刷になると、古代ローマ風の人物たちをあしらったレリーフに変えられてしまう。

☆☆☆

チャールモント卿(Lord Charlemont, 1728-99)は、ピラネージの『ローマの古代遺跡』に対するパトロネージを約束してくれていたイギリスの伯爵。ピラネージは伯爵への献呈を意図して『ローマの古代遺跡』の制作を進めるが、両者の書簡を仲介していた画家ジョン・パーカーの陰謀により、伯爵が版画集の献呈を拒んでいるという虚偽を伝えられ、製作途中にしてチャールモント卿と決裂する。このような事情を反映して、『ローマの古代遺跡』フロンティスピースならびに『チャールモント卿への弁明書』のタイトルページに刻まれた文言には、数度におよぶ改変が施されることとなった。

『ローマの古代遺跡』フロンティスピース第1刷(1756)ではチャールモント卿への献辞を刻んだ石碑と伯爵の紋章が描かれているが、仲違い後に改刻された第2刷(これは『チャールモント卿への弁明書』に収められている)では石碑が打ち抜かれ、続いて1757年頃の第3刷では石碑の文章が削り取られて書き直され、紋章も打ち壊されるに至った。

ちなみに、東京大学のデータベースで見られる『ローマの古代遺跡』フロンティスピースは、ピラネージの死後に息子のフランチェスコによって改刻された第2版。石碑も紋章も、グスタフへの献辞を表すものに変更されている。

版画はその複写可能性によって、刷りや彫りの異なるヴァージョンが複数流通するところが面白い。改変の後が時系列で辿れる。油彩やテンペラなども改変(修正や加筆、後世の修復も含めて)可能であるが、それはあくまでも物質として同一のタブローの中で展開されるものであり、一度改変が加えられるならば、過去の姿は絵具の層の下に隠蔽されてしまう。タブローの改変が一般的にはカンヴァスの上へと絵具の層を重ねていくのに対し、版画の場合は原版を彫り沈めていくことになる。バーバラ・スタフォードも指摘している「インタリオ(陰刻)性である。これはメディアの性質による物質的な相違だけれども、自分としてはタブローと版画の間の認識論的な相違にも接続しうるのではないかという予感をもっている。(『牢獄』に施された加刻に関しては、中谷礼仁氏による卓抜な論考「ピラネージ、都市の人間」(『10+1』No.34, 2004年, 12-25頁.)が既にある。)ピラネージの原版は現在すべてがローマの国立銅版画博物館に保存されているので、現物を確認する機会を作りたいと思っているところ。

画像は『チャールモント卿への弁明書』タイトルページ第2刷。